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「子どもを持たなかったら」という発想自体が悪だ、と思われそうで発言したことはないし、わたしがわたしの都合で離婚を選択したのだからせめて子どものために、より良いと思える環境を作っていくことに努力しているし、世間にも、そう見られなければまずい、と思っている。思い込んでいる。

 本の中には23人の母たちの、母になったことのメリットに関しても記されていた。これは大いに頷けることが多かった。

 成熟した人になれること、共存妥協思いやりを持てるようになったこと。 

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 わたしも親になり、だいぶ変わろうと努力ができた。相手のことを考える努力ができるようになり、どちらかだけが正しい、ということはないと思った方がいい、と考えられるようになった。わたしは正論を堂々と相手のために良かれと思って旗を振るようなタイプだったが、旗をおろした。この先よほどのことがないと、旗を振ろうとはしないだろう。人生というものが何かの課題を学ぶ旅だとしたら、わたしは親にならないと、その課題を学べない人間だったのかもしれない。 

 過去に戻れたら親になる人生を選択しない、という人もいるだろう。

 自分で人生が選択できるなら、わたしは親になることを選択したい。今更、娘に出会えなかった人生は考えられない。もちろん、過去に戻ったら生まれてくるのがこの娘じゃないかもしれない。だとしても、子どもと過ごす人生は、愉快だと思う。想定外なことだらけだし、思い通りにならないと思うから。

 それにわたしとずっといてくれて、わたしを必要とし、一番愛してくれる人がいるって寂しさが減る。

青木さやかさん(撮影=後藤利江)

わたしの母が嫌いであった理由

 わたしは、わたしの母が嫌いであったが、その理由の1つは、母が母であることを選択したくない、と思った瞬間があるからだ。母は、子どもたちさえいなければ、と思った瞬間があった。

 それを母の日記で知ったとき、わたしは存在を否定された気持ちになったし、あなたが勝手に産んだのによく言えるものだ、と思った。

 なんと、酷い母親だろうか、と思った。

 だが、わたしも母になり、また23人の母たちの告白を読んで、あの時の母親の気持ちが少しわかったような気がした。

 子どもを愛している。 

 けど、そこから逃げ出したい。 

 他の人生を歩みたい。

 と思うことは、きっとあると思うからだ。

 母は、その日感じたことを、自分だけの秘め事として日記に残す人だったから。 

 そして、わたしは、日記を盗み見する泥棒だったから。

 あの時、わたしが盗み見しなければ、

 母親との関係もまた違っていたのかもしれない。

 やっぱり、スマホや日記は、勝手に見ない方がいいと思う(そこ!)。