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この小さな命は、わたしにかかっている

 生まれてきた娘に初めてかけた言葉は、 

「はじめまして」

 だった。わたしは生まれたばかりの赤い小さな人間を、やっと会えたわ愛しい娘、とは思えなかった。

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 だけど、もちろん毎日おっぱいをあげて、毎日あやして、毎日一緒に眠った。愛しいの前に、もっと動物的な本能で小さな命を守っているような感覚だった。外界から守ろうとして、いつも苛立っていたようにも思う。野良猫が仔猫を守るためにフーッと威嚇するところを見ると、その頃のわたしを思い出す。

 この小さな命は、わたしにかかっているので、できる限り一生懸命にやらせていただいた。毎日を過ごしていくと、ありがたいことに、可愛いと感じる瞬間が増えていき、大体の時間可愛いと思うようになっていった。

 わたしは、娘を可愛いと思えて助かったなと思った。思えなかったら、この大変すぎる母親業をやるモチベーションがないのだから。

 母親であることを放棄する人がいるが、産んでみたものの子どもを愛せなかった、という女性もいるのではないだろうか。そうなると、放棄というと聞こえは悪いが、どうしても無理なのは仕方ないのではなかろうか。子どもとの生活とは、赤ちゃんの頃は特に、恐ろしく大変だった。

 子どもが可愛い、ということと、子どもの面倒を見るということの得意不得意は、また別の話なのだ。わたしは幼児期の子どもの目線に腰を落として、よくわからない赤ちゃん言葉にお付き合いするのが不得意だとわかった。怪我しないかはらはらするし、それを見張るのも自分に集中させて子どもを喜ばせるのも不得意だ。騒ぐともう、すぐにおっぱいあげて黙らせたくなっちゃう。小さな子どもの世話をするなら冷たい水で皿洗いしますから許してください、と言いたくなった。

 みんな通る道なのよ、と先輩方は言うが、ならばもう少し舗装しておいてくれたらよかったのにと勝手なことを思ったりする。

 子どもを産み育て共に生活をすることは、想像の1億倍大変だ。いや、そもそも母業がどんなものなのか、想像などしていなかったように思うが。

もし、子どもを持たなかったら

 さて、本の中には、「自分の人生を生きたかった」と記している人がいるが、もし、わたしが子どもを持ったことで、削られたものがあるとすれば、仕事へのエネルギーであろう。

 時折、思う。子どもを持たなかったら、仕事はどうなっていたのだろうか。子どもを持たなかったら仕事は今と違っていたのかもしれない、と幾度か想像したということは、子どもをワンオペで育てて、それまでの仕事を同じように続けること、同じように評価されることへの難しさを感じているのだと思う。