「もし時間を巻き戻せたら、あなたは再び母になることを選びますか?」
イスラエルの社会学者であるオルナ・ドーナトは、2008年から2013年に「母親になって後悔している」と自認する女性たちに聞き取り調査を行った。本人からの連絡や口コミ、紹介などを通じて接触し、いくつかの質問すべてに否定的な答えを返した女性を研究対象とした。冒頭で紹介したのもその質問の一つである。
同氏(訳:鹿田昌美)による『母親になって後悔してる』には、研究対象となったこの23人の“母”の後悔がまとめられている。ここでは一部を抜粋して、子どもが独立しても終わらない母親としての責任感について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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母であること:終わらない物語
私自身のために、子どもたちには結婚して子どもを持たないでほしいと思うんです。恐ろしいです。自分の人生にそのことを望みません。孫ができたら、また仕方なく強制的にやりたくないことをせざるを得ません。〔……〕私にとっては、負担でしかないのです。
──スカイ(3人の子どもの母。2人は15 ~19歳、1人は20~24歳)
現代の西洋社会では、母が、子育てのさまざまな側面に、主たる、または単独で責任を負うことが多い。たとえば、母乳を与える、おむつを換える、子どもを寝かしつけて起こす、学校の送迎をする、料理を作る、食べさせる、着替えさせる、宿題を手伝う、教育をする、遊びに連れて行く、学校での行事やミーティングに参加する、病気のときに世話をする、などが挙げられる。
こういったマザーリング(親が母性愛に基づいて、抱く、あやす、話しかけるなどの愛撫や世話を子にすること)の要素はすべて、子どものニーズと、成長するにつれてそれらのニーズにどのように対処すべきかについての一定の理解──文化や社会的階級によって決定される──に基づいたものである。
こういった行いの少なくとも一部は、ほとんどの母にとって日常的な活動である──しかし、途方もない困難と感じられる事柄もある。
・ヘレン…15~19歳の2人の子どもの母
私はすぐに授乳を始め、沐浴を行い──あらゆるお世話をしました。だから、〔子どもの世話をするのが〕怖かったわけではありません。すべてが順調で、他の助けを必要としませんでした。
ただし、散歩に行ったり公園に出かけたりするときに──私は耐えられない気持ちになりました。体が動かなくて、とにかくできなかったのです。
毎週土曜日は〔夫が〕起きて子どもたちを連れて行きました。彼には問題なくできたのです。私が公園に連れて行くべきなのに──体が言うことをききませんでした〔話しながらテーブルを叩く〕。