文春オンライン

「赤ちゃんを愛せるだろうと信じていたのです」子どもが成人しても終わらない…母親たちを苦しめ続ける“束縛する絆”

『母親になって後悔してる』より #2

note

・カーメル…15~19歳の1人の子どもの母

 私は素晴らしい母です。どんな瞬間であってもそのことを証明できます。大きな対価を支払ったし、これから一生払っていくでしょう。

 

 心配事や悩み事──心配事と言っても「息子が自転車から落ちた」「車にはねられた」という類のものではありません。そんなささいなことではなく、もっと高い次元の悩み事です……年齢と共に変わっていくような。

 

 息子は幼い頃、人との関わりに問題がありました。私は死ぬほど悩みました。他の子とうまくつきあえなかったり、友達がひとりもいなかったり、ひとりぼっちだったり。そういった出来事に直面して、私はボロボロになりました。消えてしまいそうなぐらいに。すっかりむしばまれてしまいました。

 

 今は、息子が大きくなったらどんな仕事に就くだろうと心配しています。私はこれを「実存的な心配」と呼んでいます。

©iStock.com

・ナオミ…40~44歳の2人の子どもの母。祖母

 ものすごく辛いのが、子どもたちに対する責任感が、成人しているにもかかわらず、相変わらず存在することです。まだ抜けないんです(笑)。厄介です。ひどいことです。そして今、孫たちに責任を感じています──自分の子どもよりは軽いかもしれません。親がいますから。それでもあるんです。そのせいで、気分が休まりません。

 バリは、神経障害があるため、時間のようなリソースだけでなく、身体的なリソースについても話している。常に子どもに注意を払う必要があるからだ。

・バリ…1~4歳の1人の子どもの母

―─あなたは、好きなことや望むことをできる時間もあると言っていましたが、それでも母であることの辛さを感じています。なぜですか?

 

 重荷なんです。いらいらします。すべてを娘の予定に合わせるので、常に頭の片隅にあります。ひっきりなしに雑音が流れているみたいに。子どもへの責任感と、子どもを思う気持ちが、常にあります。

 

 24時間のスケジュールなので、好きなように自由にはできません。時間は限られていて、リソースにも限りがあります。体力を貯えておく必要があります。子どもと一緒に過ごすためには、エネルギーが必要なので、他のことができなくなるのです。

常に我が子に縛られているという経験

 このように、子どもをひとりで育てているか、配偶者と一緒に育てているか、あるいは子どもが父親と一緒に住んでいるかにかかわらず、多くの母は、子どもが幼児期をすぎて何年経っても、子どもを象徴的に養い、意識の中で世話を続けているのである。

ADVERTISEMENT

 常にわが子に縛られているという経験は、要求の多い現代の母親像の影響であり、「良き母」は、文脈に関係なく、常に母であり続けることを意識の最前線に置いている。

 しかしこれは、「お世話の時間」──母としてのふるまいを始めとする、主に女性によって行われる感情的な労働──は、「時計が示す時間」とは異なり、通常は始まりも終わりもないことを示している。世話をすることは、他の活動に織り込まれ、女性は常に、心配する対象──注意を払い、忍耐し、対応を必要とする──を抱え込む。

 何をいつどのように行うかを決めるのは、時計ではなく、世話をする相手のニーズである。多くの場合、これらは他の活動と同時に発生するため、定量化や推定ができない時間なのだ。

関連記事