・オデリヤ…1~4歳の1人の子どもの母
最初の2年間は、やるべきことを形式的にこなしていました。着替え、掃除、整頓、幼稚園の送迎。必ずハグとキスを〔子どもに〕しましたし、子どもに必要だと思ったものは必ずすべて与えていました。でも、それは私にとって辛いことでした。
後にセラピストにかかり〔……〕声に出せるようになりました──私に与えられることには限度があると。〔……〕でも、根底にあるのは、この年齢〔の子どもの世話〕が好きじゃないということ。主に義務感から行っています。
それから、自分が苦しくなることは意識的に避けています──子どもを広場に連れて行きません(笑)。楽しくないですが、息子をカフェに連れて行くことはできます。〔……〕以前は、技術的な面に意識を向けていて、心をおろそかにしていました。〔……〕人形を持って遊んでいたとしても……同じような気分だったことでしょう。
一度母になったら、常に母
社会が把握しているよりも多くの女性が、たとえ母になった後悔を表明していない人でさえも、このような困難を打ち明けている。母がこの緊張を和らげるための方法のひとつは、辛いのは期間限定のはずだという事実に安らぎを見出すことである。いつか、子どもを今と同じように養育する必要がなくなる。子どもが「自分の足で立つ」ことができ、独立するまでのことなのだと。
しかし、多くの母にとっての現実はまったく異なる。オデリヤが言う世話の「技術的」側面(授乳やおむつ交換)が不要になっても、子どもへの使命感や責任感は残る。多くの女性にとって、母であるという意識は常に存在する。
ジャスミンは次のように表現している。「配偶者なら、少なくともそばにいないときは、ある程度の自由があります。でも、子どもの場合、そばにいなくても、常に心の奥に存在するのです」
多くの女性にとって、母性の存在は、特定の時間や場所に限定されない。それは、常に心の奥にある。
子どもから遠く離れた休暇中でも、刑務所にいても、家族を養うために国外に移住しても、子どもが成長して自立しても──通りの向かい側に住んでいても、海の向こうに住んでいても。女性が子どもを亡くしたり、養子縁組のために子どもを手放したりと、実際に母として活動していない場合でも同様だろう。
ことわざにあるように、「一度母になったら、常に母」なのだ。女性と胎児をつなぐへその緒は、子宮を遠く離れても存在する母子の絆の象徴である。
・ソフィア…1~4歳の2人の子どもの母
たとえ──縁起でもないですが──あの子たちが死んでも、いつも私のそばにいるでしょう。あの子たちを悼み、記憶し、耐えられないほどの辛い痛みが残ります。今あの子たちを失ったとしたら──もちろん多少はほっとしますが、安堵よりも辛さのほうが大きいはずです。子どもたちは確かに存在し、そのことについて私にはどうすることもできないからです。
〔……〕子どもたちはここにいる。子どもたちは、たとえいなくなったとしても、重荷なのです。そういうこと。それが問題なのです。だから私は、子どもを持たないことをお勧めしたいのです(笑)。
〔……〕夫に、もしも百万ドルを持っていてオペア(ホームステイ先でベビーシッターなどの家事手伝いをする留学生)がいたら、とたずねられましたが──関係ありません。親は自分なのです。親なのだから、責任は自分にあります。責任と苦しみは自分にあります。私にはそのことがわかっていませんでした。たくさんの援助が得られると思っていたし、楽しくなって赤ちゃんを愛せるだろうと信じていたのです。