「OK牧場!」など数々の名フレーズでお茶の間を楽しませて、個性派俳優としても数々の作品に出演したガッツ石松(73)。若い人には面白いおじさんという印象かもしれないが、もともとはアジア人として初めてライト級の世界チャンピオンになった名ボクサーだ。
13人相手に大立ち回りした池袋での乱闘事件から「ガッツ石松」の意外な由来、伝説のボクサーとの世界戦、そして億単位の借金を抱えたビジネスの失敗など、その半生をガッツ節を交えながら語ってくれた。
試合で「死んだふり」「“嫌倒れ”っつうんだけど」
――ガッツさんは栃木県の粟野町(現在の鹿沼市)のお生まれですが、幼少期は非常に貧しかったそうですね。
ガッツ 子供時代は村一番の貧乏人の小せがれで、朝、食うものも自分のうちの台所にないの。だから「こんちは!」と言って返事がないと、隣のうちに入って台所にあるものを黙ってもらったね。高校に行きたかったんだけど、家庭の事情で上の学校に行けそうにもないから、それで東京に出てきてボクサーになった。
プロになるとき、かわいがってくれた後援会の人が「筋が通っていて憎めない若造で、清水次郎長の子分の森の石松みたいだ」ということからリングネームを(本名の鈴木有二から)鈴木石松ってつけたのよ。
――どんなタイプのボクサーだったんですか。
ガッツ メインイベンターになる前の勝ったり負けたりの時は、単なるぶん殴るだけで、すぐ疲れちゃってた。皆さんもそうじゃない? マラソンをやって疲れてくると座りたくなる。ただボクシングで座っちゃうとね、10カウントだから負けちゃってね。
新人の頃は早いラウンドでぶっ倒してたから大丈夫だったけど、だんだんメインイベンターになって相手が日本チャンピオンや東洋チャンピオンになると馬力があるからね。俺は馬力がないから疲れちゃって、よく死んだふりしてた。“嫌倒れ”っつうんだけど。
試合が決まれば誰とでも試合をしたね。ただ練習しないから疲れちゃう。ボディーを打たれたら疲れちゃって、もうやめたって。でも負けてもファイトマネーはちゃんともらえるんだから、喜んで試合してたよ。
ただ、東洋王座だったりを防衛しているうちにボクシングはリズムが大事だとわかった。もともと持っていた底力があったんだろうね。会長やトレーナーからはこうしろっていうアドバイスはないから、そこからは自分で組み立てて戦法を作って勝つようになったね。
警察官が「よくやった」と言った池袋大乱闘事件
――東洋チャンピオン時代の1972年10月15日深夜には、池袋で8人相手に乱闘事件を起こしてますね。当時の新聞にはパトカー6台、警察官が18人駆けつけたと記事に載っています。
ガッツ 弟が絡まれてたから助けに行ったの。相手は13人いて、そのうちの8人をぶっ飛ばして5人は逃げちゃった。大乱闘だったから2、3日警察に泊まって家庭裁判所にも行ったけど、多勢に無勢だから釈放されてね。最後は警察官にも「よくやった」と言われたよ。
新聞でも菅原文太さんが弁護のコメントを出してくれてね。文太さんとはその時知り合いじゃなかったけれど、俺がファンだと知ってくれていたみたいで、名前を出してもらうこと自体嬉しかったね。