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「ガッツポーズ」という言葉が生まれた瞬間

――翌1973年、ガッツさんの世界挑戦2戦目を行いますが、相手は“石の拳”と呼ばれたロベルト・デュランでした。現在もライト級史上最高の選手の呼び声高いボクサーです。

ガッツ デュランは馬力があったね。「ドン」じゃなく「ドンドンドン」っていう選手だった。10ラウンドで負けたんだったかな。勝ち目がないなと思ったから“嫌倒れ”したの。

 試合が終わって控室に帰ってきてから、そこでシャドー(ボクシング)やってたの。そしたらトレーナーにすごく怒られてね。後援会の会長に「お前はガッツがない。名は体を表すから」と言われて、鈴木石松からガッツ石松となったのよ。

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――ガッツがないことからきてたんですね。デュラン戦の翌年の1974年には、当時WBC世界ライト級王者だったメキシコのロドルフォ・ゴンサレスとの王座戦が組まれます。ただ世界戦にもかかわらず、会見には記者が5人しかいなかったそうですね。

ガッツ そうだったかな。期待されている感じはなかったね。 普通、世界戦に挑戦するボクサーは無敗とか負けても1敗とかだから。俺は世界チャンピオンになるまでに11回負けて、5回引き分けてるんだから。日本人でこれだけ負けてるの俺くらいよ。

 

――ガッツさんはロドルフォ・ゴンサレス戦に8回2分12秒KO勝利し、アジア人として初めてのライト級の世界チャンピオンになります。

ガッツ 昭和49年4月11日、 自分がチャンピオンになって、それから腕を上げるポーズが“ガッツポース”になったんだよね。ガッツさんがチャンピオンになってなかったら、今のガッツポーズはないんだから。

ボクシングの人気も落ちてるんじゃないの

――元世界王者として今のボクシング界をどう見ていますか。

ガッツ 昔はボクシングも一目置かれたけど、今は格闘技団体が多くて選手層が薄いね。俺らの頃は東洋チャンピオンでも他に働かなくても食えたからね。1試合100万円くらいだったかな。2~3か月に1回は試合してたら食えたから。今は違うでしょ。

 

――元WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太選手も先日、事実上の引退を表明しました。

ガッツ 村田選手はボクシングを盛り上げてくれてうれしかったね。村田選手はアマチュア出身だけど、俺らの時代はアマチュアの選手がプロになってチャンピオンになるなんてなかったからね。選手層が厚かったから。

 アマチュアで名の売れた選手がヨネクラジムに入ってきたことがあってね。プロの世界の厳しさを教えるためにトレーナーも「石松、やれっ」というもんだからスパーリングでボコボコにしてね。そしたらジムの会長が「石松やめてくれ、もう来なくなっちゃうだろ」と青ざめてたね。

――今はキックボクサーだった那須川天心選手のボクシング転向も話題です。

ガッツ 俺の時代とは違うけど、これですぐにチャンピオンになったらボクシングのレベルも落ちてるんじゃないの。蹴っ飛ばしっこだったら分かるけど、俺とか井上尚弥のような選手になるのはなかなか難しいと思うよ。