YouTubeの嫌韓系テキスト動画を垂れ流し、テレビニュースに登場する女性政治家に「女の脳は…」と毒づく。

 そんな“ネット右翼”化した晩年の父親を拒絶し、心を開けないままに死を看取った鈴木大介さん(49)。しかしその後、鈴木さんの心中には「父親と向き合えなかった」という後悔が渦巻いていた。その後2年間の家族を巻き込んだ一大プロジェクトの果てに、亡き父との和解に到達した鈴木さんはこう語る。

「ネット右翼だけでなく、極左の親もいるでしょうし、ワクチンの是非や宗教問題など、家族内でおきる価値観の“分断”は非常に現代的な問題ですし、解消できない分断もあるとは思います。でも僕にとって父は『価値観が違うから切り離して終わり』にできる相手ではなかったんです。覚悟の上で始めた検証でしたが、父の実像と向き合う2年間は率直に言って“地獄”のような日々でした」(鈴木さん)

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 1月に発売した『ネット右翼になった父』で明かされた、鈴木さんがすでにいない父と向き合った日々とは――。

鈴木大介さん ©文藝春秋 撮影・末永佑樹

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――亡くなったお父さんの親戚や友人に会って話を聞き、遺品やパソコンを開くのは見ているだけでも苦しくなるようなプロセスでした。鈴木さんにとってはどういう体験だったのでしょう。

鈴木 父がネット右翼になってしまったと感じた時、最初に頭に浮かんだのは被害感情でした。「老いと病で衰えたところを、商業右翼コンテンツにつけ込まれた」と思ったんです。父が他界した2カ月後にデイリー新潮に寄稿した『亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか』もその被害感情のままに書きました。しかし母は、一貫して「「お父さんが大介の言う“ネット右翼”だったとは思えない」と言っていました。最終的には、母が正しかったんです。

「書き手として、息子として、やってはならないことをやってしまったのではないかという恐怖」

――お父さんは、ネット右翼にはなっていなかったということですか?

鈴木 父の過去の保守的な発言や思想的な変化を追うなかで、「商業右翼コンテンツの影響」や「退職後にできた人間関係の影響」という仮説が次々に否定されていきました。さらに母や叔父(父の兄弟)の話を聞く中で「父の行動はたしかに“ネット右翼”的だったけれど、実はもっと複雑な人間性がその内側にあったのかもしれない」ということが見えてきたんです。

鈴木さんの父親のPCで、Excelにまとめられていたリンク集

――YouTubeや保守雑誌のような「ネット右翼コンテンツ」には触れていても、いわゆる「ネット右翼」とは違った。

鈴木 それがわかったことは収穫でしたが、僕にとっては本当に怖い時間でした。もし父が本当はネット右翼に染まっていなかったとしたら、父をネット右翼だと決めつけた僕の文章は父や家族の尊厳をむやみに傷つけたかもしれない。書き手として、息子として、やってはならないことをやってしまったのではないかという恐怖に駆られました。

 本音ではこの時点で検証をやめたかったけれど、ほとんど義務感のような気持の中で掘り下げていく中で見えてきたのが、僕自身がそもそもネット右翼に対しても父に対しても、全く低い解像度でしか見えていなかったことです。