――家族の中でそんなにも認識が違うのですね。
鈴木 もちろん同じ反応が返ってきた部分もあり、母も姉も口を揃えて「父を森喜朗と比較するのはやめてほしい」と言いました(笑)。でもその部分は、僕の方が譲れなかった。70歳を超えた父が、それまでに身に着けた価値観を更新できずに戸惑っていたように、もしかしたら森喜朗さんも自分がなぜ批判されているのかわからずに狼狽えているのかもしれない、という想像が浮かんだんです。彼の政治的な思想には反対だし権力者が価値観を更新できないのは「仕方ない」ではすまないけれど、昔ほどは彼のことを素直に嫌いだと言えなくなった感覚もあるんです。それで、本の中でも残させてもらいました。
――家族の中にある感覚の違いを1つ1つ明らかにしていくことに、家族がバラバラになるような恐怖感はなかったのですか?
鈴木 その怖さは最後までハードルになりました。父についての検証作業の最終段階で、母は「お父さんは、私と2人のときはとても穏やかだった」と言いました。僕と姉にとっては、父はお茶の間で不機嫌を撒き散らす“フキハラ”の人だったので、たしかにそれは意外なことだったんですが、けれど母はそれを「やっと言い出せた」という感じで、口にしたんです。
――え、穏やかだったならいい話じゃないんですか?
鈴木 そうなんです。僕はその話を聞いた時、父と母の間では穏やかな時間が流れていたことにとても安心しました。純粋に嬉しかった。けれど一方で姉は、同じことを聞いても「子供たちがいたせいで家族が機能しなかったって言うの?」と、傷ついてしまう人です。そして、母も姉がそう感じることをわかっていたから、最後の最後まで言い出せなかった。
母と僕は性格が瓜ふたつで、姉はどちらかというと父に似た性格です。性格というか、生き物として似ている。けれどその父が企業戦士として家庭に不在な中で、姉がどれほど孤独な子ども時代を過ごしたのかを痛感しました。
「父がネット右翼だったのならそれでもいい、とにかく本当の姿が知りたい」
――難しいですね……。それでも、家族の中でお父さんや家族についての認識が近づいた感覚はあったのですか?
鈴木 そうですね。互いに父を思い返す中で、僕の中の父の認識が変わると、姉の認識も少し変わって、それによって母も変わって……という感じに有機的にそれぞれの父像変わっていき、最終的に同じ人物像に統合されていくような感じだったんです。それによって、残された家族全員が、やっと同じ温度で父の喪に服すことができるようになった、という感じでしょうか。
――とても大変な過程に聞こえます。最近は「毒親」という言葉もすっかり広がり、価値観が違う人とは肉親であっても距離を置こう、という感覚が広がっています。そんな中で鈴木さんはものすごいエネルギーをかけて断絶と向き合い、「解消は相手が生きているうちに」とも書かれています。そんなに頑張れたのはなぜなんでしょう。
鈴木 もちろん僕も、誰にでもこのエネルギーをかけられるわけではありません。なので答えは「自分の実の父親だったから」だと思います。そして面白いのは、父がどういう人だったかを検証していくうちに、僕はどんどん「父がネット右翼だったのならそれでもいい、とにかく本当の姿が知りたい」と思うようになったことです。
その人のことをよく知らずに、少しの行動や発言で切り捨てるのはもったいない。これは家族ではなく長年の友人でも同じです。友人の中にも「ネット右翼化」したようにしか見えない人がいて、今度一度会って話をしてみようと思っているんです。
――これは意地悪な質問かもしれませんが、生きている相手との“和解”は、もしかするとよりハードルが高いようにも感じます。
鈴木 そう思います。なので本の中でも、相手との直接的な対話からではなく、まずは自分の側に様々なバイアスがあることで相手の人物像を見失っていないかの検証から始めることを勧めています。このプロセスを間違えると、対話が一層分断を深めることにもなりかねないので。
――誰にでもオススメできる方法というわけではないのですね。
鈴木 僕が勧めたいのは、固まってしまうほどの拒絶感を誰かに対して持ったときはまず、自分が抱いている憎しみの解像度を上げること。自分が相手のどんな言動に拒絶反応が出て、相手がどうしてその言動を取っているかを理解することが大切で、そのうえで対話を目指すか、断念するかは各人が決めればいいのだと思います。