「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」など、壮大なスケールのSF作品を手掛けた漫画家の松本零士氏が2月13日、急性心不全のため他界した。85歳だった。松本氏は生前、他に原作者がいるにもかかわらず、「『ヤマト』は自分がほとんど一から作った」と主張し続けた。松本氏はなぜそこまで「ヤマト」に固執したのか――。サブカル系ライターとしても有名な朝日新聞の太田記者が、哀しみに包まれた松本作品の核心に迫る。
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なぜ「ヤマト」にここまでこだわるのか
松本零士氏が亡くなった際、一般メディアで「銀河鉄道999」と並んで、代表作として言及されることの多かったのが「宇宙戦艦ヤマト」だった。
しかし、木村拓哉主演で実写映画化された「SPACE BATTLESHIP ヤマト」(2010年)でも、13年にテレビ放映された「宇宙戦艦ヤマト2199」に始まり、現在も続くアニメ版のリメーク・シリーズでも、原作者とされているのは故・西崎義展プロデューサー1人で、松本氏の名前は作品クレジットのどこにもない。
松本氏は1999年、西崎氏が覚せい剤所持や銃刀法違反などの現行犯で逮捕されて以降、「自分が『ヤマト』の本当の原作者」との主張を繰り返すようになった。しかし、獄中の西崎氏との訴訟合戦の結果、松本氏の主張は全面的に退けられ、今日では「西崎氏が原作者」との判断が法的に確定している。
僕は当時、「週刊朝日」「AERA」の記者として、西崎氏の逮捕の内幕や裁判の状況を取材していたが、記者としての目からも、長年のヤマトファンの目からも、松本氏の主張には無理があると言わざるを得なかった。松本氏が、「ヤマト」の制作にあたって多大な貢献をしたことは疑いないが、作品の基本設定自体は、松本氏が制作スタッフに加わる以前にすでに固まっていたからだ。
しかし、松本氏は敗訴後も「『ヤマト』は自分がほとんど一から作った」という主張を一切変えなかった。晩年にもヤマトそっくりの艦「超時空戦艦まほろば」が主役のアニメを企画したが、実現せずに終わっている。
なぜ、松本氏は終生、「ヤマト」という作品に執着し続けたのか。西崎氏は訴訟中、「松本氏には他にもヒット作が数多くあるのに、なぜ『ヤマト』にここまでこだわるのか」と関係者にもらしていた。僕自身、「松本氏の強引な主張は、『ヤマト』の作品作りに関わった多くの人々へのリスペクトを欠いているのでは」とさえ思うこともあった。
しかし、その後も取材を続け、2014年から18年にかけて、朝日新聞の夕刊で「戦艦大和」と「宇宙戦艦ヤマト」について計31回の連載記事を執筆するなど、「ヤマト」という作品と先の戦争との関わりについて考える中で、僕は松本氏にとっての「ヤマト」の存在の大きさ、かけがえの無さを次第に理解するようになった。