建設請負会社社長として元受刑者を雇用する社長・廣瀬伸恵さん。会社を経営しながら、メディアで自分の体験を話す彼女だが、今の生活にたどり着くまでには波乱万丈があった。
栃木を根城にしたレディース暴走族「魔罹啞(マリア)」の総長時代は、覚せい剤の売人にもなり、刑務所に服役したことも。彼女がそこで味わった“まるで動物園のような”服役生活を、北尾トロ氏による新刊『人生上等! 未来なら変えられる』より一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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仮釈放のため、優等生キャラを数年がかりで作り上げ
入所当時は勝手がわからず、電話番号の交換がバレて懲罰を受ける失敗をしでかした。それでも、仮釈放の可能性が残っていると知ってからは態度を改め、どうすれば仮釈放を受けやすくなるか対策を練り、ケンカや騒動への参加、菓子の取り合いなど、懲罰対象になる行動は避けるようになった。
人間関係にも気を使い、ほかの受刑者と敵対せず、親しくもなりすぎないよう、距離感を保つ。噓に振り回されることもあったが、短気を起こさずにやりすごした。人気者である必要はないが、嫌われるとわずかなミスを告げ口されかねず、その差は大きい。刑務官といい関係を築いている実力者や、自分の味方になってくれそうな受刑者には、お世辞を言い、ゴマをすって取り入ることも覚えた。
もっとも注意したのは直接の担当者をはじめとする刑務官との関係。心を入れ替えてまじめにやっているとアピールするため、礼儀正しく、ときには甘える様子も交えて、好感度を高める。
仮出所をもらうためとはいえ、負けず嫌いで短気、暴力に訴えがちで、悪事を働くことを屁とも思わないマイナス要素を封印し、社会復帰を目指してがんばる優等生キャラクターを数年がかりで作り上げたわけだ。
そのかいあって、模範囚が任されることの多い配膳係などに就くことができた。すべて計画通りに運んでいたのだ。他の受刑者からも仮釈放は時間の問題だと言われて応援されていたというから、優等生ぶりはかなり浸透していたと考えていい。それまで無縁だった本の世界にも触れ、それが刑務所生活で最大の収穫だったと懐かしそうに語ってもいた。
それなのに仮出所が叶(かな)わない。僕は意表を突かれ、腰かけていたソファから滑り落ちる気分だった。
私の仮釈放はどうなるの?
「そうなりますよね。私もショックのあまり腰が抜けました。だって、仮釈放寸前までいっていたんですよ」
実際、いいところまでこぎつけていたのだ。
仮釈放をもらうためには、責任者である刑務所長の本面接の前に、担当者などとの仮面接があるのだが、そこはクリアし、本面接を待つばかりになったそうだ。ここにたどり着けばよほどのことがないかぎり仮出所が出る。就活にたとえると内定をもらったようなもの。優等生の廣瀬は、最短に近い3年と少しの刑期で外に出られる計算だ。
よっしゃー、がんばって良かったなあー。もうじき家族や後輩に会えると思うと、出所を待ち焦(こ)がれる気持ちが、いまさらながらに募ってくる。
「本面接を受けた受刑者は、だいたい3週から6週、長くても8週で出られます。仮釈放が確定したら『釈前寮(しゃくぜんりょう)』に移り、釈放を待つ段取り。受刑者間では本面接イコール釈放なので、『釈前寮』に移る前にお別れ会が開催されたりするんです」