家族は「ヤクザ家業」をどう思っているか
ヤクザの家族のあり方は、一般的な家庭とさほど変わりない。
子煩悩なヤクザは多いし、マイホームパパと呼んで差し支えないヤクザだっている。加えて、今のヤクザたちは、社会的ハンディが家族にまで及ばないようにするため、渡世とプライベートを明確に切り離し、家族の生活にヤクザ的要素が入り込まないように努めている。
福岡県警のヤクザ対策は、「福岡方式」と呼ばれ、刑事が子供たちの通う学校に出向き、「あいつの父親はヤクザだ」と吹聴するほど過酷なことで知られるが、ヤクザの家族も、日常生活で遭遇するこのような不利益を回避するため、可能な限り、普通に振る舞おうとしている。近所に対し、父親がヤクザである事実は往々にして伏せられるし、学校でも、あくまで会社役員で通すことが一般的となった。ヤクザを社会的弱者と認識するのは困難だろうが、「社会悪」と呼ばれる父親を持つ家族にとっては、なにかと辛いのだ。
ただし、子供たちにまで嘘はつけず、物心つく頃には、ほぼ100%父親の特殊な仕事を理解するようになる。たいていは「うちのお父さんは背中に絵があるのに、友達のお父さんにはそれがない」という、リアルなひとコマがきっかけになるらしい。
それでもヤクザという職業は非常に特殊なためか、知らず知らずのうちに、一般家庭ではありえないような慣習が定着したりする。携帯電話が普及した現在、非常事態が起きればいつでも電話がかかってくるため、どれだけ気を遣っても、家族たちは暴力社会の空気に触れざるをえないのだ。実際、喧嘩や拳銃、犯罪や刑務所に対する意識はやっぱり特別で、ヤクザの子供たちの多くは、暴力のスタンスが一般人とは明らかに違う。
ある組長から自宅に呼ばれ、拳銃を見せられたとき、周囲にいた組長の家族は、まったく拳銃に無関心だった。ごくありふれた家族の日常に、違和感なくとけ込んだ人殺しの道具。女房や子供たちがテレビを観ているすぐ後ろで拳銃を取り出し、大声で解説をしているのに、家族たちには驚いた様子がまったくなく、この異様な光景は、今でも脳裏に焼き付いている。
子供たちの多くは、父親を通じて暴力社会の理不尽さを痛感しているので、ヤクザになることは少ない。ヤクザたちも、かつては自分の子供を決してヤクザになどしようとしなかった。
「自分の代で終わり。息子にはヤクザを使う側の人間になれ、と教えている」(広報組織幹部)
ただ、最近では親と同じ仕事を選ぶ子供たちが増えているようだ。親分の跡目を実子が継ぐケーズも目立っており、二世の台頭を見ると、今の親分は気楽で、おいしい仕事なのかもしれないと感じる。