1ページ目から読む
4/4ページ目

当日の動きを地図で示したパンフレットや動画を作成

 19年3月には、亡くなった園児の名前を入れた詩が刻まれた慰霊碑が、園児たちの遺体が見つかった場所に建立された。現場は、復興工事が進み、被災当時のことを思い出せる光景はほぼない。そんな中で記念碑が建った。当時、江津子さんは「胸がいっぱいです。子どもたちのため、そして、私たちのためでもあります。今後も、園児たちのことを伝えていくことができ、うれしく思います。一人でも多くの人が見てほしい。ここで何があったのかを少しでも考えて帰ってほしいです」と話していた。

遺族は慰霊碑を建立した。右が江津子さん(19年3月10日撮影)

 このほか、当日の動きを地図で示したパンフレットや、子どもたちに向けて漫画で伝えるパンフレットも作成した。紙芝居や動画も作った。

「あの日の記憶は鮮明に覚えています。一緒に行った場所に行くと、春音のことを思い出します。旅行に行くときは、写真を持っていきます。震災後に生まれた子もいますが、春音の写真を持っていく担当になっています。誕生日(4月8日)は毎年、いちごのタルトのケーキを頼んでいます。震災の前の年に、私の誕生日に買ったケーキですが、春音はそれが好きでした」(同前)

ADVERTISEMENT

ひまわりに囲まれている春音ちゃんの写真

遺体を見つけた話の場面はいつも泣きながら話している

 震災から12年が経つが、江津子さんも語り部を続けている。周囲の関心は続いているのだろうか。

「語り部をすると、その場面に戻ってしまいます。遺体を見つけた話の場面では、いつも涙が出て、泣きながら話しています。聴いてくれる人も、(私のタイミングを)待ってくれています。

 以前は、フェイスブックを経由して連絡があり、講演をしたり、現地で語り部をしたりしていました。最近では、コロナで延期になった語り部もありますが。年間で20回ほどは有志の会のホームページ経由で行っています。このほか、伝承館を介して講演をすることもあります。県外の場合が多いですが、修学旅行で聞きにきてくれる学生さんたちもいます」(同前)

写真=渋井哲也