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「いつ夢を見ても、どれだけ時間が経っても、春ちゃんは小さいまま成長していないんです。最初は身長が同じくらいでしたが、最近は私の身長が伸びたため、目線が違っています。夢の中の春ちゃんは、亡くなっていることがわかっているようでした。去年の3月にも夢に出てきたんですが、翌日、大きな地震があり、びっくりしました。教えてくれたのかな」(同前)

生きていれば今年の3月で高校を卒業した年代だった

 夢にまで出る春音ちゃん。その姿は幼稚園の頃のまま。

「春ちゃんと同年代の子を見るよりは、幼稚園バスを見たときの方が、思い出すことが多いですね。あの頃は私も小さかったということもあるし、絶対、何もできなかった。ただ、何もできなかったという無力感があります。その想いはずっとあります。それでも、春ちゃんが苦しんでいるときに、私は2階でご飯を食べていましたし、温かい布団で寝ていました。申し訳ない」(同前)

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当日の幼稚園バスが見つかった付近の写真

 そう言って楓音さんは涙ぐんだ。思い出も話してくれた。

「春ちゃんが生きていれば、今年の3月で高校を卒業した年代でした。どんな部活に入ったのかな。いつも私についてきた。私は陸上競技をしていたので、きっと、陸上をしていたと思います。でも、正直、同じ競技をしてほしくなかった。だって、春ちゃんは足が速いので、私は抜かれていたと思います。一緒にお買い物をしたかったですね。下のきょうだいと一緒に買い物しても、『早く帰ろう』というので、ゆっくりできないですし」(同前)

幼稚園との裁判は和解が成立

 靖之さんや江津子さんらは「日和幼稚園遺族有志の会」に参加した。悲劇を繰り返さないためにと、日和幼稚園の経験を伝える活動をしている。

「春音ちゃんが入学するはずだった小学校や中学校では、入学式に参加させてもらいました。小学校では卒業証書まで作ってくれましたし、中学では、ネームプレートを用意してくれました」(江津子さん)

小学校でもらった卒業証書(18年3月6日撮影)

 また、「安全配慮義務を怠った」として、亡くなった園児の4人の遺族が園側を訴えた。仙台地裁(斉木教朗裁判長)は13年9月、遺族側の勝訴の判決を下した。その後、園側が控訴した。仙台高裁(中西茂裁判長)では和解となった。「今後このような悲劇が二度と繰り返されることのないよう、被災園児らの犠牲が教訓として長く記憶にとどめられ、後世の防災対策に生かされるべきだと考える」などの前文がつく、異例の和解文となった。