「防災教育をテーマにした大学の卒業論文を書くために、当時の同級生だったり、先生の話を聞きました。『たしかに。そうだな』と感じることもあったので、ちょっとずつ、話す内容が変わっているように思います。調べたことで、当時は知らなかったことがわかりました。当時の避難についての語りは、その意味で変遷しているとは思います」
東日本大震災当時、岩手県釜石市鵜住居地区に住んでいた川崎杏樹さん(26)は、釜石東中学校の2年生だった。
大学卒業後、震災の語り部に
市内の小中学生の99.8%が助かったため、釜石市の小中学校の避難行動について、当初は“釜石の奇跡”とされて注目を浴びた。現在は、一部に亡くなった子どもたちもいることもあり“釜石の出来事”と呼ばれる。
川崎さんは、大学で防災教育についての卒業論文を書いた。その後、地元へ戻り、2020年4月から、釜石市内の震災の記憶や教訓を伝える施設「いのちをつなぐ未来館」に勤務している。あの震災の語り部となったひとりだ。
「未来館」では、市内の被災状況を説明しているコーナーがあり、ついで鵜住居地区でもっとも多くの死者が出た「鵜住居地区防災センター」について解説するコーナーへの順路になっている。そこには、津波到達時間を指したまま止まっている時計も飾られている。最後に、小中学生の避難を解説するコーナーとなる。川崎さんは当時、避難した中学生の一人だ。
日本全国から防災教育のプログラムの申し込みが
「震災の教訓を伝えることだけでなく、将来の防災に備えて、避難のための行動につなげていきたいです。地元の小学生に伝えることも仕事の一つですが、すでに知っている子も多くいます。家族が亡くなっている場合もありますから。それに、地元の子は津波の映像を見せても、動揺することなく、大丈夫な子が多い。震災当時の私たちよりも防災意識が高いです」
「未来館」には、毎年2万人以上が来館している。コロナ禍ということもあり、オンラインで説明することも多い。
「防災教育のプログラムの申し込みは、ほとんどが市外からです。特に、内陸の地域からが多いです。日本全国から申し込みがあります。南海トラフ地震の被害想定がされている地域が多い。学校の先生たちもどうしていいかわからず、学校が避難所になっているかどうかわからないという方がいたりします。
企業からの問い合わせは関東圏からが多いです。首都直下型地震を意識してだと思います」