お笑いタレントの松村邦洋さん(55)が芸能人生をスタートさせたのは、35年前の1988年。デビュー以来所属する芸能事務所・太田プロダクションで、松村さんのすぐ上の先輩だったのが、昨年5月に急逝した故・上島竜兵さん(享年61)だ。

 面倒見がよく、同業者からも愛された上島さん。お茶目で憎めないキャラクターも魅力だったが、自身の芸に対して“真剣な一面”もあったという。松村さんに、上島さんとの「たくさんの思い出」を教えてもらった。(全3回の3回目/#1#2を読む)

後輩だった松村さんが語る「上島竜兵さんとの思い出」とは? ©釜谷洋史/文藝春秋

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「怒った姿を見たことがない」

――上島竜兵さんは、松村さんが上京して太田プロに所属した時、直の先輩だったそうですね。

松村 そうですね。当時、ダチョウ倶楽部さんも結成(1985年)して間もない頃で、まだそれほど食えてない時期でした。竜さんは「これしかねえんだ」と言って、いつ見ても黄色のマントのような服を着ていて……でも困っている人や後輩に対しては本当に優しい人でしたし、僕の悩みもよく聞いてもらいました。

――面倒見がいい先輩だった。

優しくて、お茶目で、後輩にも優しかった上島さん ©文藝春秋

松村 あと、いつも日本酒を飲んでいるような印象もありました。酔っ払った状態で夜中にいきなり僕の家にやって来て、「帰れなくなったから泊めてくれ」というのも日常茶飯事でした(笑)。

 上京したての頃、僕は東京に身寄りがなく、当時四谷にあった太田プロのマンションに住まわせてもらっていたんです。それを知った竜さんが頻繁に泊まりにきて、しかも図々しく「明日仕事だから、朝6時に起こしてくれ」とか言ってくるんです(笑)。

 ところが当日、僕が起きたらすでに8時。「やべえ!」と慌てて、竜さんが起きる前に、目覚し時計の針を2時間戻したこともありましたね。

――(笑)。

松村 ピッタリだとウソくさいので、6時10分くらいに針を合わせるわけです。それで「竜さん、すみません! 10分遅れました!!」と焦ったフリで起こして。寝ぼけている間に急いで支度させて、外に連れ出しました。

――上島さんは素直に信じるんですか?

松村 それが「おう、そうか」って、まったく疑わないんですよ。駅に向かう道中、「6時過ぎにしては、ずいぶんと太陽が照ってるなぁ」と言われても、僕は「大丈夫です、大丈夫です」とごまかして、丸ノ内線に乗せてしまう(笑)。竜さんも結局、最後まで気づかず、「じゃ、ありがとな」と去っていきました。

――でも、必ずバレるウソですよね。怒られたりしなかったんですか?