90年代、一世を風靡したバラエティ番組『電波少年』では、“アポ無し体当たり取材”も当たり前。タレントとして、強烈なインパクトを残した松村邦洋さん。

 ときには砂漠に取り残されたり、ハリセン1本でクマと戦わされたことも……。「生きているのが奇跡」という松村さんに、当時の思い出について語ってもらった。(全3回の2回目/#1#3を読む) 

今年で芸能生活35周年――元祖体当たり芸人・松村邦洋さんが「死ぬかと思った瞬間」とは? ©釜谷洋史/文藝春秋

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――『電波少年』では過酷なロケも多くありました。「今振り返ると、あれは凄かった」という強烈なものはなんですか?

松村 ロケでは毎回、「今度こそ死ぬんじゃないかな」という気持ちが強かったです。なかでも砂漠で遭難したときは、本当に「終わった」と思いました。

――砂漠のど真ん中で、真っ昼間に車が故障。救助を求めにいったスタッフが夜になっても戻ってこず、焦った松村さんが自力で砂漠を脱出しようとする回ですね。

松村 本気で死ぬかと思いましたし、こうなったら何も言われる筋合いはねぇなとばかりに、普段から無茶を要求してくるスタッフに反抗してましたからね。「どうせ死ぬんだから、いいじゃねえか!」と。ヤケになって、残りわずかな水も勝手にゴクゴク飲んで……でも最終的に助かったので、謝りましたけど(笑)。

――取り残された24時間後に、無事生還。ヘリの捜索も入るなど、大掛かりでした。

松村 なぜかヘリコプターが一度、僕たちの上を通り過ぎたんですよ! その時は絶望しましたけど、今思えば居場所を確認していたんですね。その後すぐに見つけてもらえて助かりました、本当に。

――「怪しい人物」に捕らわれたこともありましたね。