お笑い賞レースのファイナリスト経験はない。わかりやすくテレビでブレイクしたわけでもない。なのに、平成ノブシコブシ・吉村崇は、今やテレビに欠かすことができない存在だ。

 自らを「トップアマチュア」と自虐的に評するが、麒麟・川島明をして、「最高のチェイサー」と言わしめる、お笑い界屈指のユーティリティプレイヤー。その一方で、“天下取り”を公言するなど、破天荒時代を彷彿とさせる野心を隠そうとしない。

 この春からは、『バイキングMORE』の後番組『ポップUP!』の金曜パーソナリティーを担当。さらには、相方・徳井健太が『敗北からの芸人論』を上梓するなど、ここにきて平成ノブシコブシのプレゼンスは上昇カーブを描いている。

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 わかりやすい結果がなくても、なぜサバイブできるのか――。その哲学を、開陳していただいた。(全3回の1回目/#2に続く

 

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半年くらいでテレビに出られると思っていた

――吉村さんのキャリアは、芸人の中でも特異性が高いと思うんです。一方で、ご自身の考えを語る――といったインタビューを見かけたことがない。そこで今回、取材のオファーをさせていただきました。

吉村 言われてみれば、あんまりそういう機会ってないですね。自分でも、10年前に話したことが、今できているかわからないですし。僕は合法的な詐欺師なんですよ。今日話したことが、明日には変わってるかもしれないですから(笑)。

――朝令暮改は上等だと(笑)。

吉村 ころっころっ変えますから。正解が A だとわかっていても、全員がAに群がっていったら成立しないじゃないですか? だから、B に飛び込んでいくようにしていたんですけど、そんなことばっかりしていたら本当の自分が何なのかわからなくなっていきましたね、ははははは!

 

――そもそも吉村さんは、誰にあこがれてNSC東京に入ろうと思ったんですか?

吉村 当時は、ダウンタウンさん一択でした。僕は北海道の札幌出身なんですけど、あの頃はネタ番組なんてなかったし、若手が出ているような東京や大阪で放送されている深夜番組も、北海道では放送されていなかった。でも、一通りお笑い番組やバラエティ番組は見ていましたね。最終的に、人生でお笑いをやるって決めたのはダウンタウンさんの影響ですね。

――NSCは、学校の人気者あるいは変わり者が集う場所だったと思うのですが、そういう場に身を置いてみて、どんなことを思いましたか?

吉村 「やられた!」と思いましたよ(苦笑)。今のようにネットがある時代ではなかったので、事前に情報なんてまったくない。僕は、テレビに出ている芸人が、すべての芸人の数だと思っていた。ところが、芸人志望のNSC東京5期生の数は300人くらいいて、先輩の数もたくさんいる。話が違うじゃないかと。完全になめていて、半年くらいでテレビに出られると思っていたんですよ。