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僕も「売れた!」と思って調子に乗った一人

――これを機に、“破天荒キャラ”としてメディアへの露出も増えます。霞がかっていたものが晴れていくような感覚はありましたか?

吉村 ありましたね。やっぱり売れたいっていう気持ちを再確認したというか。今の時代って、芸人がステップアップしていく感覚が強いと思うんですよ。劇場でネタをやって、賞レースでそれなりに結果を出して、テレビの深夜に出て――というような流れがある。

 でも、当時は僕の脇鳴らし芸みたいに、いきなりテレビに出るみたいな曖昧なステップがあった。言うなれば、僕のような勢いとカンだけの芸人でも、ポッとテレビに出るチャンスが結構転がっていた。逆に言うと、調子に乗りやすいとも言えるわけで、僕も「売れた!」と思って調子に乗った一人でした(笑)。

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 劇場でも横柄な態度を取るようになって、しっかりと鼻を折られて、スポットライトから消える……。でも、振り返ると、あの小天狗時代があったから今があると思っています。07年~09年の小天狗時代に鼻を折られたことが、今も芸能界で何とかやれている肥やしになったというか。

 

『M-1 グランプリ』を目指し、厳しく辛辣に

――小天狗時代、平成ノブシコブシは『M-1グランプリ』を目指し、漫才にも注力します(2006年、2007年ともに準決勝まで進出)。あまりに厳しく辛辣な吉村さんに対し、徳井さんは「殺意が芽生えた」と証言していますが、なぜそれほどまでに漫才を?

吉村 小天狗になって洗礼を浴びた直後の07年から『爆笑レッドカーペット』が始まり、ブームになるんですよ。突如、大量の芸人がテレビに登場するようになって、一緒にくだを巻いていたような後輩もばんばん登場する。「下剋上が起きた」って思いましたよ(笑)。

 僕は、その1年前に脇鳴らし芸でテレビに出ているから、フレッシュではなくて古いと思われるようになっていた。実際、オーディションへ行ったら、「それはもう見たことあるんだよな」って言われて。他では鳴らせるかもしれないけど、「『レッドカーペット』では鳴らさせないよ」みたいな雰囲気があったんですよ。

 

――『レッドカーペット』では鳴らさせない!(笑)

吉村 自分が型落ちしたような感覚になりまして。それで原点回帰じゃないけど、「吉村崇はネタも書けるんだぞ」ってところを世間に見せつけなきゃいけないと思ったんです。当時は、それしか逆転劇を思いつかなかった。でも、結局賞レースでも結果を残せず、おまけに相方から殺意を抱かれるようになっていたなんて夢にも思わなかった(笑)。同期のピースが頭角を現すようになっていて焦っていたこともあったんでしょうね。当時は、1期に1コンビが売れれば万々歳と言われていた時代。ピースが本格的に売れたら、自分たちは売れないと思っていましたから。

写真=平松市聖/文藝春秋

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