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「同期のピースが売れたら、俺たちは売れないと思ってました」ノブコブ・吉村崇が明かす“破天荒キャラ時代の苦悩”

平成ノブシコブシ・吉村崇さん #1

2022/04/17
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厳格に育ててくれた祖母に悪態をついて上京

――相方である徳井健太さんは、同期の綾部祐二さんや又吉直樹さんを見て、「(差がありすぎて)絶望した」と表現してます。吉村さんはどう感じていたんですか?

吉村 そこに関しては、徳井の悪いところでもあって、あいつは決めつけてしまう節がある。潔いとも諦めが早いとも言えるんですけど、自分が出した結論に対してそれがすべてという考え方。でも、僕にはその考え方はなかったですね。僕は何とかして出し抜けないか、勝つことはできないかって考えていました。それに、入学して1か月ほど経った5月に、育ての親であるばあさんが亡くなったことも大きかった。

――上京する際に、「俺はばあちゃんが嫌いだから東京に行くんだ」と言ってしまったという。

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吉村 そうなんですよ。それが辞められない理由になったというか。ばあさんは僕のことを厳格に育ててくれて、公務員になってほしかったんですよね。ですから、「お笑いをやりたい」って伝えた際は、ばあさんを筆頭に周りから猛反対にあった。こっちとしても決めつけるなという思いがあったから、その弾みでばあさんに悪態をついてしまって上京してきた。

 

 いろんな人の反対を押し切って北海道から出てきたから、ばあさんが死んだときも、まだ僕は全然拳を振り上げた状態のまま。そう簡単に下ろしてたまるかって気持ちがあったので、何とかしてNSC でもがくしかなかった。だからもし、ばあさんが死んでいなかったら、もっと早く心が折れてたかもしれないですね。

 あと、お金もない極貧時代ですから、北海道に帰るという選択を金銭的にできなかった。帰りやすい場所に実家があったら、芸人をやめていたかもしれない。NSC卒業後に芸人を辞める、辞めないって、意外とそういう物理的な理由も大きいと思いますね。

相方・徳井と組んだワケは「たまたま」

――物理的な理由が辞める、辞めないを左右するというのは興味深いですね。吉村さんは、NSC在学中にコンビ結成と解散を繰り返し、卒業後に現・相方である徳井健太さんと組むわけですよね?

吉村 NSC卒業から半年くらい経っていたかな。組んだはいいものの、冗談抜きで徳井はNSCでは目立つ存在ではなかった。だから、どんな人間なのか本当にわからなかった(笑)。僕は卒業と同時くらいに、それまで組んでいたコンビを解散して、また一人の状態になっていた。 卒業直後って、どのコンビもこれからがんばらないといけないわけですよ。ここで解散すると活動が立ち行かなくなる。ですから、解散しない。余っている人間なんてごくわずか。そんな状況下で、たまたま僕と徳井が余っていた。

 

 僕からすれば徳井は、最後の一人。これがダメだったら組む相手がいないわけですから、芸人として続けていたかどうかもわからない。あいつと組む前まで、僕は先輩の舞台の手伝いなどをしていて、「裏方にならないか」って誘われたくらいです。そっちの道に行くのかななんて思いつつ、諦めきれない自分もいて、そこにポンと徳井とつながった感じですね。