厳格に育ててくれた祖母に悪態をついて上京
――相方である徳井健太さんは、同期の綾部祐二さんや又吉直樹さんを見て、「(差がありすぎて)絶望した」と表現してます。吉村さんはどう感じていたんですか?
吉村 そこに関しては、徳井の悪いところでもあって、あいつは決めつけてしまう節がある。潔いとも諦めが早いとも言えるんですけど、自分が出した結論に対してそれがすべてという考え方。でも、僕にはその考え方はなかったですね。僕は何とかして出し抜けないか、勝つことはできないかって考えていました。それに、入学して1か月ほど経った5月に、育ての親であるばあさんが亡くなったことも大きかった。
――上京する際に、「俺はばあちゃんが嫌いだから東京に行くんだ」と言ってしまったという。
吉村 そうなんですよ。それが辞められない理由になったというか。ばあさんは僕のことを厳格に育ててくれて、公務員になってほしかったんですよね。ですから、「お笑いをやりたい」って伝えた際は、ばあさんを筆頭に周りから猛反対にあった。こっちとしても決めつけるなという思いがあったから、その弾みでばあさんに悪態をついてしまって上京してきた。
いろんな人の反対を押し切って北海道から出てきたから、ばあさんが死んだときも、まだ僕は全然拳を振り上げた状態のまま。そう簡単に下ろしてたまるかって気持ちがあったので、何とかしてNSC でもがくしかなかった。だからもし、ばあさんが死んでいなかったら、もっと早く心が折れてたかもしれないですね。
あと、お金もない極貧時代ですから、北海道に帰るという選択を金銭的にできなかった。帰りやすい場所に実家があったら、芸人をやめていたかもしれない。NSC卒業後に芸人を辞める、辞めないって、意外とそういう物理的な理由も大きいと思いますね。
相方・徳井と組んだワケは「たまたま」
――物理的な理由が辞める、辞めないを左右するというのは興味深いですね。吉村さんは、NSC在学中にコンビ結成と解散を繰り返し、卒業後に現・相方である徳井健太さんと組むわけですよね?
吉村 NSC卒業から半年くらい経っていたかな。組んだはいいものの、冗談抜きで徳井はNSCでは目立つ存在ではなかった。だから、どんな人間なのか本当にわからなかった(笑)。僕は卒業と同時くらいに、それまで組んでいたコンビを解散して、また一人の状態になっていた。 卒業直後って、どのコンビもこれからがんばらないといけないわけですよ。ここで解散すると活動が立ち行かなくなる。ですから、解散しない。余っている人間なんてごくわずか。そんな状況下で、たまたま僕と徳井が余っていた。
僕からすれば徳井は、最後の一人。これがダメだったら組む相手がいないわけですから、芸人として続けていたかどうかもわからない。あいつと組む前まで、僕は先輩の舞台の手伝いなどをしていて、「裏方にならないか」って誘われたくらいです。そっちの道に行くのかななんて思いつつ、諦めきれない自分もいて、そこにポンと徳井とつながった感じですね。