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「同期のピースが売れたら、俺たちは売れないと思ってました」ノブコブ・吉村崇が明かす“破天荒キャラ時代の苦悩”

平成ノブシコブシ・吉村崇さん #1

2022/04/17
note

仲間が増えると、売れてなくても本当に楽しい

――はじまりから、不規則な軌道を描く独特なコンビだったんですね(笑)

吉村 だからなのか、きちんと真剣に相方と向き合う時間は短かったと思います。一緒の空間にはいるけど、たまたまコンビっていう状況。実際、初めてコンビとしてルミネの舞台に立ったとき、まったくウケなくて空調の音が聞こえてきたくらいですから。コンビとしてうまくいっていなかったのは間違いないです。

――それにもかかわらず解散を選ばなかったのには理由が?

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吉村 「売れてやるんだ」という自分で用意したニンジンのデカさに夢中だった(笑)。解散すると、それが遠のいてしまう。あと、芸歴が2年も経つと、先輩、後輩……周りに仲間が増えていって、“売れていないけど面白い”って空間から抜け出せなくなるんですよ。だから、芸人を辞めるんだったらNSC在学中か、卒業から1年未満だと思います。それ以上続けると関係性が広がっていくから、売れてなくても本当に楽しいんですよ。

 

 湿っていてジメジメしているんだけど、そんな奴らが集まってバカ話をする――、あの頃が一番面白かったなって今でも思います。あまりにも居心地がいいから、本来自分が抱えていた「売れたい」って気持ちに霞がかかってくる。「俺たちは売れなくていいよな。みんなで地獄に落ちよう」みたいな危険な感覚に陥っているところがあって、お金を借りて遊んでばかり。振り返ると、僕らが売れてなかった時代って、芸人にやんちゃさが残っていた最後の時代だったんだろうなって思います。時代の残滓ですよ、僕らは。

注目を浴びた「脇で音楽を鳴らす芸」

――なるほど(笑)。霞がかっていく中で、2006年に脇で音楽を鳴らす芸で注目を集めます。これは何かきっかけが?

吉村 ただの偶然なんです。そもそも、合コンのときにタンバリンがなかったので、カラオケを盛り上げるために裸になって脇を鳴らしていたのが発祥。ぶっちゃけ下心ありきのコンパ芸ですよ。ところが、たまたま若手を統括しているマネージャーさんが、『やりすぎコージー』のオーディション用紙の特技欄に、「脇で曲を奏でることができる」と記載して。

 

 僕は、合の手を入れることはできたけど、曲は奏でられない。なのに、オーディションに通ってしまいまして。急遽、曲を演奏しなきゃいけないってことで、「幸せなら手をたたこう」とか「TRY ME ~私を信じて~」なんかをやるようになったんです。そしたら、東野(幸治)さんが「漫才やコントを頑張っている芸人が多い中で、こんなバカな奴がいるなんて信じられない」って面白がってくれた。東野さんのおかげなんですよ。