2014年10月11日、北海道千歳市の住宅地からわずか4キロしか離れていない山林で、その「事件」は起きた。

「30年キノコ採りをやっていて、その山林には年間40回ぐらいは入ってました。ヒグマのフンや足跡は見たことがありましたが、ヒグマそのものに出くわしたのは、そのときが初めてでした」

 そう語る真野辰彦(68)の右腕には、あれから8年経った今もそれと分かる噛み傷が残っている。私が真野に話を聞きたかったのは、彼がキノコ採り中に遭遇したヒグマと必死に格闘し、大ケガを負いながらも奇跡的に生還を果たすという稀有な経験を持つ人物だからである。(全2回の1回目/後編に続く)

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ヒグマ(北海道斜里町) ©時事通信社

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午前中にクマ鈴を落としてしまった

 その日、真野は愛犬の「ブンタ」を連れ、早朝から千歳市藤の沢の山林に入っていた。

「キノコって、生える場所が決まっているから早いもの勝ちの“競争”なんですよ」

 例えば、ある場所で見つけたキノコがまだ小さいので、来週改めて採りに来ようという場合は、そのへんの草を被せて隠しておくのだが――。

「翌週その場所に行って草を払ってみると、お目当てのキノコがない。被せていた草が茶色く変色していたので、かえって他の人の注意を引いて先に採られちゃったんだと思いますが、それだけ熾烈な争奪戦になる。なので、山には早朝から入るんです」

 現場はマツの造成林と自然林が入り混じった山林で、真野にとってはどこにどんなキノコが生えているかを知り尽くした「ホームグランド」でもある。犬のブンタは真野がキノコを採っている間は、自由にあたりを散策し、一時的に姿が見えないことも珍しくない。普段は野生のシイタケ専門の「シイタケハンター」だという真野だが、この日は、シイタケがシーズンを外れていたこともあり、「山のフカヒレ」の異名もあるムキタケに狙いを絞ったところ、昼までに結構な量が獲れた。

 林道に止めた車の中でコンビニで買ったパンを食べて、簡単に昼食をすませると、真野は再び山林に入った。「午前でやめとけばいいのに、やめなかったんですよね」と真野が振り返る。実は午前中の活動でクマ鈴をどこかで落としてしまっていたという。