女性同士の違い、男性の苦悩…誰も取りこぼさない物語
さらにこのドラマでは、あいこの会社の先輩である女性たち、ともこの担当編集者や憧れの絵本作家らを通して、経済格差、世代、正規雇用と非正規雇用といった境界にふれながら、同じ「女性」であっても違いがあり、ひとつの万能な解決策がないことをきちんと見据えている。
ジェンダー役割規範に縛られているのは、女性だけではない。
ある日ゆきは、偶然しんたと知り合う。「頼りない」「男らしくない」とフラれたとボヤくしんたに、ゆきは「まあ、そんなもんじゃないですか。男なんだから」「将来設計しっかりできてないならすればいいし、泣くのは我慢すればいいし、弱音は耐えればいいだけの話じゃないですか?」と返す。これはまさに、家父長制を支えるジェンダー規範における、男性性の表れだ。
男性と見なされた人たちに対し、健康で、しっかり働き、経済力があり、家族を支えるが弱音は吐かない、といった自立と自律が求められてきた/いる。しんたは、そんな規範を「男らしさ地獄」と呼び、異論を唱える。
あいこも、しんたについて「男同士、仕事とかいろいろ積もる話もあって、意気投合しちゃってさ」と言うゆきに不満を抱く。同じ内装デザイナーであるにもかかわらず、仕事の悩みや愚痴を共有してくれないのは、女には本質がわからないということなのか、とあいこは問う。「我慢するとか勝手に自己解決してさ。あたしは話し合う相手にも値しないってことなのかよ」と。
同じ男性なのに、違う価値観のしんたや、ひとりの人間同士としてのコミュニケーションを求めるあいことのやりとりを通して、ゆきは自分を省みて、少しずつ変わっていく。あいことともこが、互いの違いや楽しさを共有しながら、変わっていくように。
「参鶏湯」に詰まった愛
わたしが白眉だと思ったのは3話の「愛が詰まった参鶏湯」だ。
ある夜ともこは、あいこと楽しみに見ていたドラマの主演ふたりの“熱愛報道”に、「怪しいと思ってた」「“友達としか見られない”って言ってるときはだいたい何かあるパターン」と決めつけてかかるあいこに、偏見だと憤る。
「恋愛は正義、恋愛は絶対って空気やっぱりあるよなあって。すべての人がそれで幸せになれるわけじゃないのにさ。もちろん素敵なことだってのはわかってるんだけど。だからこそ複雑っていうか」と悩んでいたともこは、しんたといた日中、カップルだと決めつけられる経験をして、不満を募らせていた。
あいこはその場では反発したが、お風呂に入ってから謝ったところ、ともこも八つ当たりだったと謝り返す。理解して見守ってくれるだけでいいのにと、ともこは割り切れなさを吐露する。
そんなともこが愚痴ってから、あいこに出した献立が参鶏湯だった。このメニューを選んだのは、あいこが風邪をひきそうだったから。「見てたらわかる」そのともこの一言からは、生活を支えるのは、相手を思いやること、よく観察することだという示唆がうかがえる。丸鶏の中にもち米を詰めて、にんにく、生姜、長ネギ、ナツメなどといっしょに煮込む参鶏湯を食べながら、あいこが声をかける。
「ともこさ、別に欠けてなんかないからね。愛はいっぱい詰まってるよ。いつもありがと」
クサいセリフだけど、蓮佛美沙子が作り上げる気安く誠実なあいこの言葉は、料理と響き合うようにスッと飲み込ませてくれる。きっと“普通”とは違うと自分を責めたり、他人を信じられなくなったり、愛とはほど遠い欠落した人間なのではと感じてしまう経験を積んできただろうともこに、しっかり響いてるように見えた。そして新作の絵本で描きたいテーマに気づかせてくれる。