北朝鮮の「核」の脅威は、日本人に「核抑止」についての再考を促したのではないか。米国の「核」は日本への攻撃を他国に躊躇させる力を本当に持つのか、不安を感じ始めた人も少なくないだろう。

 鈴木達治郎『核兵器と原発』(講談社現代新書)によれば、こうした感情的反応は必然らしい。核兵器による報復を恐れて相手が攻撃を控えるかどうかは実は分からない。だから核抑止体制は不安を払拭できず、軍備拡張の泥沼に陥る危険を孕む。それは戦後世界史が物語ることだ。

 日本も政府レベルでいえば不安は今に始まったわけではない。中国の核保有後、政府内では自前で核兵器製造可能な能力を保持すべきという意見が強まり、それが原発の使用済み燃料から再処理でプルトニウムを取り出す核燃料サイクル政策に影響してきたという。

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 ならば今こそ貯まったプルトニウムの兵器利用に踏み出すべきなのか。元陸自幕僚長の冨澤暉は『軍事のリアル』(新潮新書)で国際社会が求めるならその検討もありえるだろうが、核武装へのロードマップを描ける政治家・学者・官僚など日本には一人もいないと切って捨てる。

 もっともロードマップが描けないのは、日本の核政策全体の欠陥でもあろう。たとえば先日、小泉純一郎元首相らが「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」の骨子案を発表したが、鈴木が前掲書で描き出した国際的な核抑止依存の状況や、国内の原発立地地区の過疎問題への配慮をも視野に入れたうえで具体的な脱原発への道が示されることはない。

 おそらく核の問題全体を相手取る司令塔を作る必要があるのだ。その在り方を考える上で『原子力規制委員会』(岩波新書)で原子力規制行政の独立性、中立性の不足を厳しく批判した新藤宗幸の指摘は参考になる。確かに核を巡る行政はイデオロギーに染まった核利用推進と「反核」のいずれからも独立して、人類全体の平和と安全の確保を目的に掲げて展開されるべきだろう。そして、その目的達成のために利用可能な手段を総動員し、リスクと不安を段階的にであれ着実に取り除いてゆく体制を確立する。

 そこで思い出すのは「手段と目的との間の生き生きとした会話」の重要性を説いた高坂正堯だ。その論文「現実主義者の平和論」を収めた『海洋国家日本の構想』は今も中公クラシックスとして読み継がれている。現実に寄り添って書かれ、刊行される新書には、核と人類の未来についても、実現すべき目的と、それを実現するための手段を考えるヒントが数多く含まれているはずだ。

軍事のリアル (新潮新書)

冨澤 暉(著)

新潮社
2017年11月16日 発売

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原子力規制委員会――独立・中立という幻想 (岩波新書)

新藤 宗幸(著)

岩波書店
2017年12月21日 発売

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