10年前の日銀バッシング
10年前、白川方明(まさあき)総裁率いる日銀は、激しいバッシング(批判)にさらされていた。リーマンショック、東日本大震災と続いた深刻な危機を経て、景気はようやく回復の途上にあった。しかし、物価は、小幅の前年比マイナスが続いていた。円相場も1ドル90円前後で推移しており、不満の矛先が日銀に向けられた。
一方、世界では、中央銀行万能論ともいうべき見方が台頭していた。第二次世界大戦の後、長く続いたインフレが収束し、「中央銀行に任せておけば、経済をうまく回してくれる」との楽観論が強まっていた。
さらに、ノーベル経済学賞の受賞者である米国ニューヨーク市立大学ポール・クルーグマン教授らが「金利がゼロ%に張り付いても、中央銀行は国民に物価上昇を約束することでインフレ心理(物価が上昇していくという期待)を高め、経済成長を実現できる」との論陣を張っていた。実証された議論ではなかったが、通貨供給量の増加を主張していた国内のリフレ派エコノミストが呼応し、「日本経済の長期停滞は、金融緩和を小出しでしか行わない日銀にすべての責任がある」と、激しく批難した。
2012年12月の総選挙では、当時野党の自由民主党が「大胆な金融緩和」を公約に掲げ大勝した。同年末に発足した第二次安倍晋三政権は、翌13年1月、2%の物価安定目標を盛り込んだ「政府・日銀共同声明」を日銀とともに公表した。同3月、白川総裁は任期を1ヶ月弱残して辞任し、黒田東彦氏が総裁に就任した。
黒田総裁の登場は鮮烈だった。就任直後の4月の金融政策決定会合で、早速「異次元緩和」を決定した。内容は、それまでの金融政策に対するアンチテーゼ(対立軸)の色彩が濃いものだった。
(1)物価目標(インフレターゲット)2%の安定的な達成に厳格にこだわること、(2)目標達成時期を「2年程度」と明示すること、(3)従来比2倍に当たる巨額の資金供給を行うこと(資金量重視の方針)――を三本柱とし、これらを強く約束することで人々のインフレ心理をかき立て、物価の上昇を実現させるというストーリーだった。
断固たる意思を示すためのポーズも際立った。記者会見では、三本柱を意味する「2%、2年、2倍」のパネルを持ち込み、異次元緩和を高らかに宣言した。「戦力の逐次投入をせずに、現時点で必要な政策を全て講じた」とも言い切った。
自信を示すことで、インフレ心理を煽る意図があったのだろう。強気のポーズは、その後、長期にわたり物価目標を達成できないにもかかわらず、一貫して変わらなかった。そのために国民やマスコミは不信感を募らせるようになり、日銀と社会、市場との対話は次第に成り立たなくなった。ただし、それは後の話である。
異次元緩和の決定直後、金融市場は大きく反応した。円相場は下落し、株価が上昇した。物価も前年同月比1%台に乗せ、すべてがうまくいくかのように見えた。
しかし、長続きしなかった。14年後半には物価の上昇に陰りがみえ始め、以後、日銀は「逐次投入はしない」との触れ込みとは裏腹に、目先を変えた施策と新たな説明を次々と繰り出した。もくろみは完全に外れた。