未熟な物価目標政策
そもそも黒田日銀が掲げた物価目標政策は、世界的にみても未熟である。1990年代から2010年代にかけて多くの国が採用し、「物価目標2%はグローバルスタンダード」との見方が流布されたため錯覚に陥りがちだが、日本だけでなく各国も運用に苦労している。
アメリカですら、インフレが完全に収束した1996年以降、昨年までの27年間、物価(コア個人消費支出デフレーター)の前年比が2.0%を超えたのは、05〜07年と21〜22年の2回しかない。
中央銀行は人々のインフレ心理を思いどおりに動かせるほど、心理形成のメカニズムを分かっているわけではない。同時に2%という物価目標値を絶対視できるほど、すべてを知っているわけではない。それを前提に、柔軟な政策判断を心掛ける必要があった。中央銀行はもっと謙虚であるべきだったのだ。
もくろみの外れた日銀は16年、三本柱の1つである資金量重視の方針を修正し、金利重視へと事実上、転換した。短期金利にマイナス金利を導入し、あわせて長期金利をゼロ%に抑え込む長短金利操作(イールドカーブ・コントロール=YCC)を開始した。
もっとも、資金量重視の旗を完全に降ろしたわけではなく、その後も国債の大量購入を続けた。
18年には、「2年程度で物価目標を達成する」との旗も降ろした。導入からすでに5年が経ち、「2年程度」の旗は完全に風化していた。その後の日銀は「粘り強く金融緩和を続ける」とだけ述べるようになった。
この方針転換は、本来ならば金融政策の性格を大きく変えるはずのものだった。金融政策は、もともと短期的な経済の変動を均(なら)すための手段である。いつ目標が達成されるか当てのないまま、ただ「粘り強く続ける」姿勢は、金融政策というよりも、構造問題への取り組みのようにみえた。しかし、日銀は「デフレマインドがなかなかなくならない」とだけ述べ、その後さらに5年間、異次元緩和を続けた。
かくして三本柱で残るのは「物価目標2%の安定的な達成に厳格にこだわること」だけとなった。ところが物価は、昨年春までの9年間、一度として前年比2%を超えなかった。10年目となる昨年4月、ロシアによるウクライナ侵攻をきっかけとするエネルギーと穀物の価格の急騰を受け、物価は一挙に2%を超え、年末には4%に達した。しかし、これは短期的な振れで、日銀自身も23、24年度には物価上昇率が再び1%台に戻るとみている。そのロジックに従う限り、現時点でも物価目標の「安定的な2%の達成」は実現していないことになる。
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元日銀理事の山本謙三氏による「日銀・植田新総裁への忠言」全文は、「文藝春秋」2023年4月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されている。
日銀・植田新総裁への忠言