凶弾に倒れた息子の戒名を骨壺に書いたのは母洋子だった――。ジャーナリスト・岩田明子氏による人気連載「安倍晋三秘録 第7回 ファミリーの葛藤」(「文藝春秋」2023年4月号)の一部を転載します。

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安倍は家族との時間を大切にしていた

 渋谷からほど近い富ヶ谷の閑静な住宅街に、安倍晋三元首相の邸宅がある。3階建てで2階が安倍と妻・昭恵の居住スペースだった。現在、3階の仏間には安倍が微笑む遺影が飾られ、その周囲には華やかなお供えの花々や絵画、お菓子などが置かれている。死後半年以上が経った今も、弔問客が後を絶たないことが窺われる。

「紫雲院殿政譽清浄晋寿大居士(しうんいんでんせいよしょうじょうしんじゅだいこじ)」

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 位牌と骨壺に刻まれた安倍の戒名だ。骨壺の方の達筆な字は、安倍の母・洋子が書いたのだという。昭和の大物政治家である岸信介の娘にして“政界のゴッドマザー”とも呼ばれ、今年で95歳を迎える。

 洋子は元々、著名な女流書家と一緒に書の展示会を開くほどの腕前だ。安倍の死後まもなく、洋子が直筆で半紙に戒名を書き、それを骨壺に転写したのだという。

 私は、2016年に「文藝春秋」の企画で洋子にインタビューをしたが、「おかげさまで晋三も総理として4年目を迎えることができました」と第二次政権の順調な歩みぶりを喜ぶ姿が印象に残っている。

 それが突然、想像だにせぬ凶弾に命を奪われ、自分より先に逝ってしまった。母として愛する息子の戒名を書く――あまりに残酷な行為に臨まざるを得なかった洋子の無念や悲しみは計り知れない。

 安倍は家族との時間を大切にしていた。この富ヶ谷の自宅に兄の寛信一家や弟の岸信夫一家も招き、年末年始の行事やクリスマス、誕生日パーティーを催した。総理の激務の合間を縫ってでも仕切り役を務め、家族団欒の中心にはいつも安倍がいたという。そこには総理大臣ではなく、一人の人間としての安倍の素顔や振る舞いがあったはずだ。

洋子氏の誕生日会 安倍晋三Twitterより

 私が過去20年にわたり安倍を取材する中で、政策や政局に比べて家族について語ることは決して多くはなかった。だが、時折口にする思い出や考えからは、意外な安倍の家族観と、安倍家や岸家の知られざる実像が見えてくるのだ。