安倍家三兄弟の病
兄の寛信は商社マンとして三菱商事を経て子会社の社長も務めた。弟二人とは違って、政治の世界とは一線を引いていた。だが兄弟三人は政治家一族に生まれた「宿命の子」であると同時に、ある“因縁”を抱えている点でも共通していた。
「私たち兄弟は、みな免疫系の病気を患っているんだ。政治家だった祖父の安倍寛も、若い頃に脊椎カリエスと肺結核になり、51の若さで亡くなっている。何かの因縁だろうか。一度、折を見て先祖のお墓参りに行った方がいいかもしれないな」
今年2月7日をもって信夫は議員辞職している。体調不良で思うように声が出ず、昨年は尿路感染症と診断され、車椅子に座って公務に臨む姿も見られた。安倍の2度の政権退陣の理由も持病の潰瘍性大腸炎の悪化にあった。兄寛信も著書で自分が30歳の頃にギラン・バレー症候群を患ったことで身体も眼球も動かなくなり、一時は死の危機もあったと打ち明けている。
地元の山口県田布施町に祖父岸信介の墓があり、同県長門市油谷の墓には父晋太郎が眠っている。だが、この時に安倍が言っていた「先祖のお墓」とは、福岡県宗像市からフェリーに乗って15分の場所にある離島・大島の墓や、福井県小浜市の羽賀寺のことを指す。
大島の墓には平安期の豪族、安倍宗任が眠る。平安時代後期に安倍貞任・宗任の兄弟が朝廷に反乱を起こし、朝廷からは討伐のために源頼義・義家父子が派遣されている。これが1051年から62年まで10年以上続いた「前九年の役」だ。兄貞任は東北の地で敗死し、弟の宗任は大島の地に行き着いた。
一方の羽賀寺は室町時代に奥州の武将である安倍康季の寄進で再建され、安倍家歴代の位牌が安置されている。安倍一族のルーツを辿ると、北陸や九州に行き着くのだ。
一昨年の11月1日、衆院選投開票日の翌日にもかかわらず、安倍は妻の昭恵と、初めて宗任の墓を訪れている。また、昨年4月には羽賀寺も訪問した。一族の健康と、国家の安寧を祈願した安倍は「やっと行くことができた」と感慨深げな表情を浮かべていた。
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ジャーナリスト・岩田明子氏による「安倍晋三秘録 第7回 ファミリーの葛藤」全文は、「文藝春秋」2023年4月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
ファミリーの葛藤