信夫への嫉妬の感情
「弟の信夫が生まれるまでは、私が岸家の養子になる予定で、祖父(信介)が舐めるように可愛がってくれたのを覚えているね。ただ、私が5歳の時に、まだ幼い信夫が養子に出されることを知ると、子供ながらに寂しくて反発したものだよ。一方で嫉妬の感情も芽生えてきて、信夫には、悪戯でよくプロレス技をかけたな(笑)」
2008年の12月、第一次政権を退陣し、持病の潰瘍性大腸炎の治療のために自宅での蟄居生活を送っていた頃だ。安倍は珍しく感傷的にこんな話をしていた。
岸信介の息子信和・仲子夫妻は子供に恵まれなかった。そのため岸家の血を絶やさぬよう、信夫は生まれて間もなく、養子に迎えられた。寛信と安倍は煩悶しながらも、本人のためを思って、この事実を伏せ、親戚の“お兄ちゃん”として振舞った。
高校3年の頃に信夫は、初めてこの事実を知ることになる。大学入学に必要な戸籍謄本を自分で取り寄せると、両親の戸籍に入った経緯の欄に「出生」ではなく「養子」と書かれていたのだ。
寛信の著書『安倍家の素顔』(オデッセー出版)には、この時、信夫が衝撃を受け「なぜ本当のことを言ってくれなかったのか」と混乱し、思い悩んだ様子が書かれている。私も安倍が「あの時は様々な意味で大変だった……」と振り返っていたのを覚えている。
住友商事を経て2004年に信夫は参院議員に初当選しているが、安倍はたとえ実の弟でも一人の政治家として接し、身内贔屓はしない、との考えを持っているようだった。
「私が頼んだわけではないからね!」
2020年9月に菅義偉政権で信夫が防衛大臣として初入閣を果たした際に、私を牽制するかのように安倍はそう語っていた。だが内心は嬉しそうで、弟を選んだ菅に感謝しているようだった。
信夫は台湾に独自の人脈を持っていた。正式な国交のない台湾と友好促進を図る「日華議員懇談会」の幹事長も務め、「民主化の父」と呼ばれた李登輝とも親しくしていた。
安倍も、親日家で教養豊かな李登輝に敬意を抱いていた。2015年の7月、李登輝が訪日した際にはこんなことを語っている。
「李登輝と極秘で会ってきた。以前から続いていることだ。第一次政権を退陣した後も彼は一貫して私のことを支持し、アピールしてくれていてね。だから恩義があるんだよ。今年で92歳だから、そう何度も訪日はできないだろうな」
安倍は、信夫が政治信条として台湾との関係を大切に育んできたことは理解していた。ただ一方で、この頃、「李登輝に勲章を授与してはどうか」との考えが、信夫も含む親台派の政治家の間から浮上すると、安倍は対応に苦慮していた。
ただ勲章は、受章者を閣議で決定したうえで、最終的に天皇陛下が授与する。思案した結果、安倍は事柄の性質上、予期せぬ外交問題を招きかねず、リスクを回避すべきだと判断した。理想に一途な弟を羨ましく思いながらも、総理という職務の厳しさを改めて実感していた。