2022年9月2日に100周年を迎えた「東急株式会社」。この100年の間に、東急という会社だけでなく、東急沿線の街も大きな変貌を遂げてきた。

 ここでは、東急グループの常務役員・東浦亮典氏が、東急のまちづくりや、コロナで変わる新たなビジネスモデルについて語った著書『東急百年 - 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ -』(ワニブックス)より一部を抜粋。東急沿線の街、横浜と二子玉川が丘について紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

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横浜駅 交通の利便性高く、観光地としても人気

横浜駅 ©AFLO

 ひとつの駅に乗り入れる鉄道事業者数が日本最多で、11路線と実にたくさんの鉄道路線が横浜駅には接続しています。2019年度の乗降人員数は約230万人で、JR東日本管内では新宿駅、渋谷駅、池袋駅に次ぐ第4位となっており、東京駅より多いので、その交通利便性の高さは言うまでもありません。

 また海の景観が素晴らしく、観光地としての人気も高いのは周知の事実です。それに加え、東京都心と比較すると若干リーズナブルな居住コストで住むことができるうえ、駅周辺の飲食店、商業環境も非常に整っているところなどが人気の秘密かもしれません。

「SUUMO」の「住みたい街ランキング」で2018年以来、5年連続で1位を獲得している「港町横浜」ですが、かつては「住みたい街」の上位にランキングされるような街ではありませんでした。

 2022年は鉄道開業150周年の歴史的な年ですが、ご存知の通り1872年に新橋駅~横浜駅(当時はいまの桜木町駅)間に日本初の鉄道路線が敷かれたことに始まります。

かつての埋め立て地が、戦後急速に復興

 長い歴史のある横浜駅ですが、周辺一帯は明治から大正期に新田開発のために陸路と線路間の海面を埋め立ててできた土地です。明治後期には油槽所(ゆそうじょ)として使用していたのですが、関東大震災の時にオイルが漏れ、あたり一帯が十数日にわたって燃え続けたという記録が残っています。

 周辺住民の反対運動によって、油槽所は鶴見区安善町に移転したので、この跡地を1928年に新しい横浜駅としたのが始まりです。その後、私鉄各社が横浜駅に接続するようになり、駅として発展が始まります。