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都市更新が遅れていた横浜、大規模浸水被害を受けた二子玉川…東急沿線の“住みやすい街”が抱える「課題」

『東急百年 - 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ -』より #2

2023/03/25
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二子玉川駅 二子玉川ライズと玉川高島屋が切磋琢磨し発展する街

二子玉川駅 ©AFLO

「二子玉川駅」は2015年に市街地再開発事業「二子玉川ライズ」がグランドオープンしてから、玉川高島屋ショッピングセンターと切磋琢磨しながら、街は発展を続けています。

 この地は、江戸時代から大山街道の宿場がありました。多摩川を船で渡す「二子の渡し」があったことから、そこに茶屋ができて賑わいました。

 明治後期になると玉川電気鉄道が開通し、玉川駅(現在の二子玉川駅)が終点になると、東京都心からも近い風光明媚な景勝地として人気が出ました。多摩川沿いには、鮎料理を食べさせる料亭や旅館が建ち、財界人なども通うような一大行楽地となります。

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 農地が多かった周辺は徐々に宅地化されて、人口も増えてきたので、それを当て込んで1922年には玉川電気鉄道が「玉川第二遊園地(第一遊園地は瀬田にかつて所在)」をつくりました。

 第二次世界大戦中は一時閉園していましたが、1954年に「二子玉川園」として再開。後に映画館なども併設され、まだ娯楽が少なかった時代には大変な賑わいをみせました。私も子どもの時には何度か親に連れていってもらい、いろいろな遊具などで楽しく遊んだ想い出があります。

「玉川高島屋ショッピングセンター」の開業

 1980年代になると「東京ディズニーランド」が開園して、遊園地のクオリティーが一気に上がったことにより、それに反比例するように二子玉川園は元気を失い1985年に閉園を迎えます。

 私が入社したのがちょうど1985年でしたので、長年親しんできた遊園地の閉園は寂しいものがありました。学生時代から社会人になっても、よくこの地を訪れてテニスやゴルフ練習に興じていたものでした。その後、「ナムコワンダーエッグ」というアミューズメント施設や「いぬたま・ねこたま」という犬猫とのふれあいができるテーマパークなどが暫定的に営業していました。

 二子玉川を語る上で欠かせないのが、「玉川高島屋ショッピングセンター」の開業でしょう。

 1969年にオープンした同施設は、日本初の本格的郊外型ショッピングセンターとして有名ですが、その当時は駅東側が遊園地などで発展していましたので、玉川ショッピングセンターが建設された駅西側はあまり発展していませんでした。そこに落下傘のように突然大規模ショッピングセンターができたので、周辺住民も東急も驚いたものです。しかし、最盛期は年間で1700万人ものお客様を二子玉川に迎えてきたわけですから、このショッピングセンターが二子玉川の現在に至るまでのブランドを高めてくれたことは間違いありません。

 私も新玉川線ができて渋谷駅に直通できるようになる前までは、ちょっとしたお買い物といえば「玉川高島屋ショッピングセンター」が定番でした。田園都市線に住む多くの住民がきっとそうだったのだろうと思います。