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私は大谷が日本にいる頃、つまりメジャーに行く前から「新聞・スポーツ新聞にとって大谷翔平は相性が悪いのでは」と考えていた。大仰な表現を十八番とする新聞・スポーツ紙はプロ野球、高校野球、相撲などの伝統的なジャンルと相性がいい。しかし大谷翔平は活字野球には合わなかったのである。
たとえば次の見出しを見てほしい。
「男気 黒田が魅せた」
「怪物 大谷が決めた」
これは2016年の日本シリーズ第3戦を伝えた朝日新聞の見出し(10月26日)である。日本ハムには大谷がいて、広島には黒田博樹投手がいた。黒田投手は従来からの大仰な表現や浪花節的な見出しにも当てはまった。新聞の見出しが楽しみな選手だった。
一方で私は大谷翔平を「怪物」と呼ぶ表現はまったくピンとこなかったのである。大仰な表現と大谷翔平は相性が悪い。大谷を堪能するには目の前の技術を目撃できれば十分であり、とくに物語性やエモさはいらないのだ。
大谷が凄すぎて「エモい記事」が発生
しかし大谷が凄すぎて、巨大な物語性が発生したことがあった。メジャーで二刀流にチャレンジして好成績を収めたため、伝説の人物の名前がちょくちょくニュースに出てくるようになった。ベーブ・ルースである。「野球の神様」と言われた人物で、現役時代はピッチャーとバッターの両方をこなす二刀流。伝記でしか読んだことのない人物が、大谷のおかげで身近によみがえった。各新聞は物語性たっぷりの大谷のエモい記事が書けるようになった。こんなに巨大な物語性を掘り起こしてしまう大谷翔平。「新聞と野球」でもやはり予測不能の存在。