当時の私のTOEICスコアは650点程度で、外資系の会社に来るには高いとは言えないスコアだ。加えて受験勉強以降、完全に研鑽をサボっていた自分は、特にリスニングとスピーキングに大きなコンプレックスを抱えていた。しかし、ここでできないと言ってしまえば、アベイラブル部屋に戻ることになるかもしれない。そう考えるともはや退路はなかった。
「できます!」と、頭が判断するより先に、言葉が口から出ていた。
His Name is YAMAUCHI
煌びやかな本社と道を挟んだ雑居ビルの一室に連れていかれると、私の上司になる男が座っていた。想像していた外見とは異なり、髪も目も黒く、どこからどう見ても生粋の日本人だ。年齢は20代後半だろうか。しかし足を組みながら英字新聞を広げ、スターバックスのグランデサイズのコーヒーを持つ姿は、なるほど、確かにウォール街を思わせた。
「ヤマウチ デス」と、その男は握手を求めてきた。
(日本語で話しかけてくれているのか?)
西崎から聞いていた事前情報からかなり気難しい性格であると推測していた私は、混乱しつつも握手に応じ、「よろしくお願いします」と完全に日本語で応答していた。ヤマウチは続けた。
「Fukkin, kyokin, jowan-nitokin, subete kitaereba kimimo……」
私は一言も聞き逃すまいと、咄嗟に内ポケットに忍ばせていたメモにヤマウチの発する言葉を記録した。
「PERFECT BODY」
確かにそう聞こえた。英単語を自分自身の耳が理解できたという高揚感が脳を満たし、「わかりました」と大きく頷いた。
「わかりました、じゃないでしょ」
ヤマウチは日本語のイントネーションでそう言った。訳がわからなかった。アメリカ帰りの英語しか喋れない優秀で知られる上司が、私のために日本語を喋ってくれているのか。
様々な可能性が脳をめぐる中、ふと西崎を見ると、彼は下をむき必死に笑いをこらえていた。その時になって私ははじめて、先輩社員の仕掛けたドッキリに引っかかっていたことに気づいたのである。