2020年代、“大コンサル時代”ともいえるブームが起こっているという。NHKの調査によれば、就活口コミサイトが発表した東大生・京大生の2023年卒業生の就活人気ランキングにおいて、トップ10の半数をマッキンゼーやボストンコンサルティングといったコンサルティング企業が占めているのだ。
ここでは、世界トップクラスの外資系コンサルティング会社を12年間生き延びた「超絶テクニック」がSNSで話題のコンサルタント、メン獄さん初の著書『コンサルティング会社 完全サバイバルマニュアル』(文藝春秋)より一部を抜粋。メン獄さんがコンサルティング会社に入社した当初のエピソードを紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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受け入れ先の仕事がない
2009年10月、私は都内某所のコンサルティング会社のロビーにいた。いくつかの外資系のIT企業が拠点を構えるこの巨大ビルディングには、その年の9月に私が入社したコンサルティングファームの本社があった。日本国内の総社員数は約3000人という。
入社して約1ヶ月間の研修期間を終えた後、同期が次々と有名企業のクライアントのプロジェクトへ派遣されていくのを尻目に、2週間のアベイラブル(待機)期間を経て、ついにその日、私はプロジェクトに配属された。
2週間のアベイラブルは、世界随一のコンサルティングファームに奇跡的に滑り込むことで維持された私のプライドを砕くには十分なものだった。内定者懇親会で先輩社員たちから「入社以降は寝る間もなく働く」と聞いていたにもかかわらず、受け入れ先の仕事がない、という状況に混乱した。
折しも、就職活動を終えた2008年の春から約半年後、サブプライムローン問題に端を発するリーマン・ショックは世界中の経済に大打撃を与えていた。大学生活のほとんどをアルバイトとバンド活動に費やしていた当時の私は、未曾有の“不景気”の深刻さをあまり理解していなかった。
コンサルティング会社は通常、クライアント企業に対してコンサルテーションを行い、対価として報酬を受け取る。しかし不景気の折、多くの企業はコスト削減にいそしみ、人月単価の高額なコンサルティング会社を予算削減の仕分けのターゲットとしていた。
多くの既存契約が突如として打ち切りとなり、コンサルティングファーム各社は新規案件の獲得に苦労する。残された数少ない生命線となる案件は、実力と経験を兼ね備えた精鋭社員たちが担い、数ヶ月前まで学生であった大量採用枠の新入社員が活躍する余地は、急速に失われていたのである。
実はコンサルタント業界において、配属先がないために待機せよ、と暗黙に言われているアベイラブルとは、ある種の“戦力外通告”に相当するとされていた。