アイドル志望→漫画家→超売れっ子タレントという独自のキャリアを歩んできた山咲トオルさんインタビュー。アイドルを目指していた頃は300のオーディションすべてに落ちた山咲さんが、『夜もヒッパレ』や『笑っていいとも!』に出演する超売れっ子タレントになれた理由とは?(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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生きる支えになった「アイドル」への憧れ
――トオルさんはもともとアイドルに憧れていたそうですが、それは子供の頃からですか?
山咲 そうですね。私の最初の記憶っていうのが2歳か3歳になる頃で、テレビで天地真理さんを見て「この人に会いたい! テレビの箱の中に入りたい!」と思って。まだブラウン管だったテレビをねじ回しで開けようとして母に止められるような、そんな感じの子だったんです。
私が小学校5年生になる年には松田聖子さん、岩崎良美さん、田原俊彦さん、河合奈保子さん、柏原芳恵さんがデビューなさるんですね。そこからガラッとテレビの色が変わったというか。
――アイドルブームが始まったんですね。
山咲 たぶん80年代に入って、ちょっとバブルに向かう頃の勢いもあったんでしょう。すごく華やかになりまして、その2年後の1982年に松本伊代さん、中森明菜さん、小泉今日子さん、早見優さん、堀ちえみさん、石川秀美さんがデビューなさって、私の憧れをより一層強める時代になったんです。
その頃は「この中に入りたい」というよりは「助けられた」という恩義を勝手に感じていたんです。というのも、簡単に言うと、私は小学校高学年と中学校3年間は上級生、下級生、先生にまでオカマと呼ばれて、いじめに遭っていたので。
オーディションは受けても受けても全落ち
――アイドルの方々が心の支えになっていたんですね。
山咲 それで高校生になってから髪の毛を伸ばしてジャニーズカットみたいにして、洋服もちょっと気を使ったら、いじめられていた私がガラッと変わってしまって。
沖縄の浦添というところの高校に通っていたんですけど、私目当てに遠くの学校から見にくるファンや、アルバイト先にまでくるファンが集ってくるようになったんです。でも、私はオネエだから「怖いわ、怖いわ」と言って、友達に囲んでもらって帰ったりしていました。
そして高校卒業後は、アイドル歌手を目指して上京したんですけど、オーディションを受けても受けても全部落ちてしまったんですね。
――地元ではアイドルだったのに、東京では通用しなかったんですか?