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『シャブ極道』の役所広司、『鬼火』の原田芳雄……Vシネ史上に残る名演

仁義なきヤクザ映画史 最終回

2023/04/05
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映画史家・伊藤彰彦氏の人気連載「仁義なきヤクザ映画史 日本百年の闇をあばく」最終回を一部公開します。(「文藝春秋」2023年4月号より)

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ヤクザ社会・映画への決定的な打撃

 1980年代後半、バブル経済の隆盛とともにヤクザ社会は肥え太っていく。一方、東映ヤクザ映画は『極道の妻(おんな)たち』以外に新機軸を見つけられず、低迷した。そしてバブル崩壊後の92年に施行された「暴力団対策法」は、ヤクザ社会とヤクザ映画にともに決定的な打撃を与えた。

東ちづる(左)と高島礼子(『極道の妻たち 死んで貰います』撮影スナップ)

 脚本家の笠原和夫は、ヤクザ映画を書かなくなった理由を、2002年に刊行された『昭和の劇 映画脚本家笠原和夫』(笠原和夫、荒井晴彦、絓秀実共著)でこう語っている。

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 現代劇として「経済ヤクザ」を描くなら、四大銀行が貸付先の倒産や不渡りの情報を入手したり、土地の買い占めをするためにいかに総会屋やヤクザを使ってきたかを描かなければならない。だが、銀行から金を借りている東映株式会社にはそれができなかった。銀行のみならず政治家をも巻きこんだ利権争い、立体的でダイナミックなジャパニーズ・マフィアの構造を描かなければ、ヤクザ映画なんて作る意味がない、と。

 笠原が言う「ヤクザと政財界の関わり」をテーマにした東映ヤクザ映画が、俊藤浩滋・高岩淡製作、溝口敦原作、高田宏治脚本の『民暴の帝王』(93年、和泉聖治監督)である。「民暴」とは「民事介入暴力」の略称。暴力団またはフロント企業が、資金獲得の手段として、一般市民の社会生活や経済取引に介入、関与することを指す。

『昭和の劇 映画脚本家笠原和夫』

銀行のことを書くな

 この映画の前年、「暴力団対策法」が施行されるタイミングで、ヤクザ相手に戦う「民暴」専門の弁護士(宮本信子)を主人公にした『ミンボーの女』(伊丹十三監督)が公開され大ヒットしたが、俊藤浩滋はその向こうを張って、ヤクザ側から民事介入暴力の実態を描こうとした。主人公「江田晋」のモデルは、「山一抗争」の終結に尽力し、「東京佐川急便事件」のフィクサーとして知られる「経済ヤクザ」の先駆け、石井隆匡(たかまさ)二代目稲川会会長。この江田を小林旭が颯爽と演じ、今のところ小林にとって最後の映画主演作となった。映画では、石井隆匡が関与したとされる「住友銀行による平和相互銀行の吸収合併」、「平和相互銀行の岩間カントリークラブ開発」、「東京佐川急便からの巨額の融資」と思しき事件が描かれる。しかし、高田宏治は「俊藤さんから『銀行のことを書くな』と釘を刺され、経済事件は点描に留めた」と証言した。また、この映画を観た経済評論家の佐高信はこう語る(ともに本稿のための取材による)。

 佐高 『民暴の帝王』では、住友銀行や平和相互銀行やイトマンがなぜヤクザの力を借りなければならなかったかがちゃんと描かれていない。政界や経済界には主流と傍流があるんです。三井・三菱銀行は頭取が日銀総裁になれる主流。それに対し住友は大阪の銀行ということもあり、頭取が日銀総裁にはなれない傍流です。主流の三井・三菱は汚れ役を置いて汚れ仕事をさせ、裏社会の侵入を止める仕組みがきちんとできていますが、傍流の住友とか、住友の商社部門であるイトマンにはちゃんとした仕組みができていないから、裏社会に付けこまれるんです。

 “住銀の天皇”の磯田一郎が、東京の平和相互銀行を吸収合併し、三井・三菱を超えようとし、そこで無理をした。イトマンを汚れ役に使い、裏社会の力を借りざるをえなくなる。『民暴の帝王』は、主流である財閥系の銀行がいかに裏社会の侵入を止めているかという仕組みと、傍流の住友銀行が裏社会と手を結ばざるを得なかった理由、さらには住友と平和相互銀行の合併にいかに竹下登のような傍流の政治家が力を貸したかが描かれていません。

『ゴッドファーザー』3部作(72〜90年、フランシス・フォード・コッポラ監督)は、マフィアと政財界およびバチカン法王庁との関係を様々な圧力を押し退けて描いた。一方、東映(のみならず日本のメジャーな映画会社)にはそれが不可能だった。俊藤浩滋はヤクザと政財界の関わりは彩りに留め、物語の縦糸を武闘派ヤクザ(渡瀬恒彦)と経済ヤクザ(小林旭)の対立にして、ラストで双方のトップが手打ちをしたことに我慢がならない渡瀬恒彦を小林旭のもとに殴りこませた。

 このパターンは任侠映画以来の紋切り型で、いかにも古い。もし東映が蛮勇を振るって銀行を説得し、『民暴の帝王』が佐高信の指摘した住友と三井・三菱の関係と、関西ヤクザと関東ヤクザの対決を重ね合わせ、傍流=大阪から主流=東京への挑戦を描くことができたならば、この映画によって「政財界の闇を切り裂くヤクザ映画」という新たな地平に斬り込めたのではなかろうか。

 90年代の東映ヤクザ映画は、『民暴の帝王』のみならず、『継承盃』(92年、大森一樹監督)も『修羅場の人間学』(93年、梶間俊一監督)も『首領(ドン)を殺(と)った男』(94年、中島貞夫監督)も、40代以上の男性客しか動員できず、いずれも当たらなかった。こうした苦境を救ったのが、89年から始まる東映Vシネマである。「Ⅴシネマ」とは東映の登録商標であるが、本稿ではビデオ鑑賞用に製作された作品(劇場公開されたあとビデオで発売されたものも含む)の総称として使う。

『クライムハンター・怒りの銃弾』(89年、大川俊道監督)から始まる東映Vシネマは、チーフプロデューサーの吉田達(とおる)によって、15歳から30歳の男性をターゲットにし、ヤクザが登場しない、スタイリッシュなハードアクションを目指した。

 このようにⅤシネマはモダンなアクション路線から始まったが、90年に東映Ⅴシネマ『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』(高橋伴明監督)が売れたことにより、『竜二』(83年、金子正次主演、川島透監督)を嚆矢(こうし)とするチンピラ映画が復活を果たした。また、94年からは大映がヤクザものを作り始め、95年に設立されたミュージアム(現・オールインエンタテインメント)が実録ヤクザ路線を量産するにいたって、しだいに強面(こわもて)のヤクザものがビデオ店に並び、「エロと暴力とギャンブル」が柱のビデオ作品を各社が競って作り始めた。90年代は町の映画館が閉館する代わりに商店街にレンタルビデオ店が開店し、人々が映画を映画館ではなくビデオで観る時代になった。竹内力と哀川翔の主演作がひっぱりだこで、竹内の『難波金融伝・ミナミの帝王』(92〜07年)、哀川の『修羅がゆく』(95〜00年)といった人気シリーズの新作の発売日にはレンタル店にVHSが何本も並び、すぐに貸出中の札がかかった。