「おそらくたぶん、神宮のお立ち台に立つのは初めてだと思うんですけども。やっぱりスワローズファンの皆さんの前で、ここに立つことができてホントに嬉しいです」

 4月2日、広島との開幕第3戦。勝利投手となったヤクルトの星知弥は、神宮のスタンドを埋めた3万人近いファンの前でそう声を弾ませた。この日は2対2の8回に登板。2死から安打と四球でピンチは招いたものの、最後は西川龍馬のピッチャー返しの打球に右足を出し「何とか気持ちで止めることができた」と、執念でアウトにした。

 するとその裏、主砲・村上宗隆が決勝の“ランニングホームラン”(記録は二塁打と右翼手のエラー)。星に2019年8月17日の中日戦(神宮)以来、実に1324日ぶりとなる勝ち星が転がり込んできた。

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「やっと真っすぐが戻ってきました」

 星は明治大学からドラフト2位で入団して、今年で7年目。今月15日には29歳になる。ここ数年は不本意なシーズンが続き、今年もキャンプは二軍。一軍のオープン戦に合流したのは、開幕まで残り2週間と迫った3月17日のこと。コブシ球場での練習を終えてクラブハウスに戻る彼に声を掛けると、返ってきたのは「やっと真っすぐが戻ってきました」との言葉だった。

 もともと星の最大の魅力は、自ら「セールスポイント」と語っていた最速156キロのストレートである。

 ドラフト指名を受けた後に行われた明治神宮外苑創建90年記念奉納試合では、六大学選抜の一員としてヤクルトを相手に先発し、2年連続のトリプルスリーを達成したばかりだった山田哲人からそのストレートで空振り三振を奪っている。当時のヤクルトには150キロを超えるストレートを投げる投手はほとんどおらず、彼の入団は実に頼もしく感じられたものだ。

星知弥 ©時事通信社

右ヒジ疲労骨折で低迷、「崖っぷち」の野球人生

 ルーキーイヤーの2017年は、ブルペンの一角として開幕を迎えた。先発陣が手薄という当時のチーム事情もあって4月の終わりから先発に配置転換されると、チーム4位タイの4勝を挙げるなど奮闘したが、シーズン終盤に右ヒジを疲労骨折して手術。翌夏には戦列に復帰するのだが、その後も肩や膝などの故障に泣かされ、いつしか自慢のストレートは鳴りをひそめるようになっていた。

 昨年はイースタン・リーグで29試合に投げて3勝5敗3セーブ、防御率3.64、一軍ではプロ入り後最少となる7試合の登板で0勝1敗、防御率4.38。言葉は悪いが、もう“崖っぷち”と言ってよかった。

 今春のオープン戦終盤になって一軍に呼ばれた星も、それを自覚していた。「1年1年が勝負だと思うんで、しっかりと勝負できるようにしたいと思います」という。そして、今シーズンに関していえば「しっかりと勝負できる」だけの自信があった。オフの間、肩ヒジのコンディションを整えることを第一に考えたうえで、膝を故障してからはなかなか思うようにできなかった下半身のトレーニングにも取り組み、その成果によって「やっと、どこも痛くない状態で臨めている」からだ。

 それでもこちらとしては、果たしてどれだけ「真っすぐが戻ってきた」のだろうという思いがあった。だが、阪神とのオープン戦で6回からマウンドに上がった星を見て、ぶっ飛んだ。

唸りをあげた154キロのストレート

 躍動感あふれるフォームからのストレートは唸りを上げ、この日は最速154キロ。新外国人のヨハン・ミエセス、ドラフト1位ルーキーの森下翔太はいずれも直球を中心にグイグイ攻めて、最後はフォークで空振り三振を奪うと、続く梅野隆太郎はカウント2-2からストレートで見逃し三振。ため息が出るような圧巻のピッチングだった。

「良かったね。彼はあのぐらいの力は持っていて、あとは体力だけなので。投げる力がつけば、あのぐらいの球は投げると思っているので。ファームからの報告も非常に良かったですし、ぜひ一回見ようと思って(一軍に)上げましたけど、非常にいいピッチングだったと思いますね」

 試合後、星をそう評したのは髙津臣吾監督である。その後のオープン戦2試合でも1イニングずつをパーフェクトに抑えた彼を、髙津監督は開幕一軍メンバーに抜擢する。