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新しい市名で「南札幌」が選ばれていたら…

 ただ、それから正式に誘致活動の決着がつくまで、自分の住んでいる市のこの姿勢をどういう気持ちで眺めていたのかは憶えています。無理だ、とずっと思っていました。人口6万人にも満たない小さな市の手におえることではないとしかどうしても思えず、「札幌市しっかりしなさいよ」とすら思っていたのです。

 とまあ今となっては関係者各位に土下座して詫びねばならない失礼極まる印象しか持っていなかった訳ですが、でもこれは関係者の皆さんの方だって、ちょっぴりは悪いんですよー。2016年6月、名乗りを挙げた北広島市は「3月に球団側から候補地の一つに入っていると聞き」って言ったんです。たった3か月で、と思いますよね? ところが『アンビシャス』を読むと、実は前の年の秋にはもう聞いてたんですよ。言ってたのと半年も違うじゃないですか。皆もう嘘つきー!

 この本を読んでいると、「ささやかな偶然と人ひとりの何気ない選択とが本当にいくつも積み重なって今日という日は成り立っている」ということを何度も実感させられます。たとえば、松下幸之助氏の逝去が1日でも早かったら、或いは遅かったら(何の関係がとお思いでしょうが詳しくは本書の第四章をお読み下さい)。たとえば、「ミラクル開成」で名をはせた野球少年が、最初の希望通りに六大学野球を目指して北海道を離れていたのだとしたら。

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©青空百景

 というようなことを思っていたら、ふっと頭に浮かんだ「たられば」があります。

 札幌郡広島町が北広島市になった1996年。それ以前から駅の名前は「北広島」で、したがって新しい市名もすんなりそれに移行したかと見えますが、実は名前の候補は他にもいくつか存在しました。今となってはもうどれも忘却の彼方ですが、1つだけ思い出したものがありました。「南札幌」という案があったんです。

 札幌市の隣にあるから南札幌市。確かに判りやすくはありました。でも。

 あの時、もしも万が一、こっちの名前を選ぶようなことになっていたとしたら。

 街の成り立ちそのものに関わる名前を捨てて、ただ大都市のベッドタウンであるだけでいいとしていたら。

 それから27年後の今、この場所に建つエスコンフィールドHOKKAIDO、Fビレッジはなかったんじゃないだろうか。

『アンビシャス』を読み終わってからずっと、そんな益体もないことを考えているのです。

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