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「俺なんか100くらい噓をついているからね」

北方 それを流さないで生きるのが作家です。むしろ小説を書くときは、何も流さないのがいい。そうすれば、ごった煮みたいなものの中に真実が浮かびあがってくる。俺が優れていると思っている作家なんてみんな人生の汚濁だけ書いていますからね、中上健次みたいに。中上は自らの出自である被差別部落を「路地」と表現し、路地の小説をずっと書き続けた。

 突き詰めると、汚濁の中から一粒の真珠をつまみ出せるか、という問題なんです。中上はまさに天才だった。文学をやるために生まれてきたような男だった。だから俺は純文学をやめたんです。中上がいなかったら、俺はいまでも売れない純文学を延々と書いていたかもしれないと思いますよ。

©文藝春秋

 僕はごく普通の家庭に生まれ育ったので、中上健次さんのように、貧しさや不平等と闘いながら生きている人が持つ「絶対的な反骨精神」への憧れがずっとありました。

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北方 中上の場合は反骨精神ではなく、「この理不尽を表現したい」という表現欲じゃないかな。俺にはそれがなかったから、物語を書くしかなかったんです。

 さっき橘さんは「普通の家庭」とおっしゃいましたけど、俺は親父が外国航路の船長で、裸足で歩いているような子どもがたくさんいる時代に、一人革靴なんか履いていた子どもだったんですよ。だから人間の存在の暗さとか重さから引っ張り出すような人間観なんて何もなかった。そこで、物語なんですよ。噓をいっぱいついて、読む人が「うわあ、面白い」と思ってくれればいい。ひとつのことを知ったら、そこから10の噓をつくのが作家だと言われるけど、俺なんか100くらい噓をついているからね。

©文藝春秋

 10代の頃は「翳(かげ)りこそが本物」みたいに思っていましたし、「自分はまわりとは違う特別な存在だ」と思いたかったんですけど、大人になるに従って、自分は普通の人間なんだと自覚せざるを得ないじゃないですか。僕なんか特別な才能もないし、中上健次さんのように背負っている歴史もないし。だからこそ、愚直にがんばらないといけないと思ってきたんですけど、そうか、「物語」で噓を書くという道があったんですね。

写真撮影=佐藤亘/文藝春秋

パーマネント・ブルー

橘 ケンチ

文藝春秋

2023年2月8日 発売