きのう、将棋で初めて永世七冠を成し遂げた羽生善治が、囲碁で2度目の七冠制覇を達成した井山裕太とともに、安倍首相より国民栄誉賞を授与された。奇しくも22年前のきょう、1996(平成8)年2月14日は、当時25歳の羽生が谷川浩司から王将位を奪取し、七冠独占を達成した日である。将棋界ではそれ以前にも升田幸三が三冠、大山康晴が五冠でタイトルを独占したことはあったが、1983(昭和58)年に七冠時代を迎えてからは初の快挙だった。
羽生が七冠制覇をめざして谷川に挑んだ第45期王将戦七番勝負第4局は、前日の2月13日より山口県豊浦町(現・下関市)の「マリンピア・くろい」で行なわれ、この日午後5時6分、82手までで羽生が勝ち、第1局から4連勝でタイトルを奪取する。彼は前年(1995年)の春にも谷川に挑んだものの、3勝4敗で敗れていた。このとき、棋士や関係者のあいだでは、七冠達成への望みは薄くなったとの見方が強かった。だが、羽生はそれから1年間、過密な日程のなか、驚異的な強さを見せる。すでに獲得していた6タイトル(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王)をことごとく防衛し、95年9~12月に行なわれた王将戦挑戦者リーグで再び挑戦権を獲得したのだった。
「今後七冠は現われるか?」の問いに、「ないと思います」
七冠達成の瞬間、羽生の顔に笑みはなく、何かしきりに考えこむような表情を見せた。対局後のインタビューでは《時間がたってこないと、七冠王という実感はわかないと思う》(『毎日新聞』1996年2月15日付)と語ったが、のちにいたっても《自分で将棋を指してるんですけど、雰囲気というか、空気みたいなものに乗っていた感じがあるんですね。だから、あんまり自分で七冠を成し遂げたという感覚がなかったんです》と振り返っている(羽生善治『羽生善治 闘う頭脳』文春文庫)。後年の別のインタビューでは、今後ほかの人も含めて七冠の可能性はあるかと訊かれ、《ないと思います。正当な競争原理が働けば1人が独占するのは難しいでしょう。体力も続きません(笑)》と答えた(鈴木輝彦『神の領域に挑む者 棋士それぞれの地平』マイナビ)。彼にとっても、達成前に「七冠が実現するなら体力のある20代のうち」と話していたように、2度目の谷川への挑戦が最後のチャンスだったといえる。なお、羽生は96年7月30日に棋聖戦で挑戦者の三浦弘行に敗れ、七冠独占は約5ヵ月半で終わった。
棋士で将棋ライターの河口俊彦は、将棋が一時でも茶の間の話題になることを夢見てきたが、それが羽生の七冠達成で実現したと書いた。このころ、河口がタクシーの運転手に羽生の噂話をしたところ、相手は《国民栄誉賞の是非について、とうとうと弁じてくれた》という(河口俊彦『羽生と渡辺 ―新・対局日誌傑作選―』マイナビ)。それから20年あまり、将棋界には新たなスターも何人か現れたが、それでも羽生は圧倒的な存在感を示してきた。昨年(2017年)12月5日には通算7期となる竜王位を奪回したことで、7タイトルすべてで永世称号の資格を獲得し、今回の国民栄誉賞につながった。