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《ロシア軍大攻勢は5月か》ゼレンスキーの軍事介入でウクライナ軍にほころびが出始めている?

《ロシア軍大攻勢は5月か》ゼレンスキーの軍事介入でウクライナ軍にほころびが出始めている?

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東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠氏と、防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏による「ウクライナ戦争『超精密解説』」を一部転載します。(月刊「文藝春秋」2023年5月号より)

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 高橋 この対談がおこなわれているのは3月中旬ですが、激戦地となっているのは、ウクライナ東部の街・バフムトです。ロシア軍によるバフムトへの攻撃は、昨年の5月、東部ドンバス攻勢の一環として始まりました。ロシア側は民間軍事会社「ワグネル」の部隊を主力として投入してきましたが、ウクライナ側も徹底抗戦の構えを崩さず、双方の攻防は激しさを増しています。

 小泉 事態が大きく動いたのは今年1月でした。バフムトのすぐ北側に位置するソレダールをロシア軍が陥落させ、その勢いに乗って、街の南北をどんどん制圧していった。兵站線が圧迫された結果、3月に入ってからは、バフムト市の東半分もロシア軍に制圧されたと見られます。正直、ウクライナ軍は「撤退やむなし」の状況ですが、非常に頑強に抵抗して、なんとか持ちこたえていますね。昨年夏のセベロドネツク攻防戦では部隊を保全することを優先して撤退を選びましたが、今回はまだ粘っている。

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バフムト近郊の様子 ©時事通信社

 高橋 ロシア軍の当面の目標は、東部ドンバス地方(ドネツク・ルハンスク二州)を完全に制圧することです。大部分はすでに支配下に置きましたが、ドネツク州の北側部分はまだウクライナが維持している。そこに進むための突破口を開くために、膨大な犠牲を払いながらバフムトを攻撃している、というのが大方の見方ですよね。

 ただ、よく分からないのは、「なぜここまでバフムトにこだわっているのか」ということ。他にも攻めこめそうなポイントはたくさんありますからね。例えば、バフムトの南側に位置する街・ドネツク。ロシア軍は開戦してからずっと、ここからも攻勢を仕掛けているのですが、なかなか上手くいっていない。ドネツクの部隊を強化して、突破口にしても良さそうですが……。

バフムトに執着する理由

 小泉 つけ加えると、ロシア軍はドネツク州南西部のウフレダル、ルハンスク州西部のクレミンナやスバトボからも攻勢をかけています。多方面から攻めこんで、ドンバスで取り残しているポケット状の部分を、まるっと制覇してしまいたいのでしょうね。

 高橋さんのおっしゃる通り、ロシア軍はその中でも、バフムトに異様にこだわっている。それが軍事的合理性からなのか、政治的な理由からなのかは、議論の余地があると思います。

 そして、バフムトに執着しているのは、ウクライナ側も同じです。ドイツの大衆紙「ビルト」は、バフムトの防衛方針を巡って、ウクライナ側で一悶着あったことを伝えています。記事によると、ソレダールが落ちた後の2月頃、ザルジニー総司令官とシルスキー陸軍司令官は、バフムトから撤退すべきとの立場を示したそうです。

 ところが、軍人2人の戦術的判断を、ゼレンスキーがひっくり返した。「バフムトを放棄すれば、ロシア軍はさらにウクライナ領の奥深くに侵入してくる」と。

 高橋 なるほど。

 小泉 このゼレンスキーの判断が、本当に戦術的な理由に基づいているのか、それとも「西側に我々が負けているところを見せてはならない」という政治的な理由からなのか……判然としません。

 ウクライナ戦争が始まって1年と1カ月が経ちましたが、これまでのゼレンスキーは比較的、軍人の言うことには従ってきました。それがバフムトに関しては、いつもと違う印象を受ける。政治が軍に介入することで、有能だったウクライナ軍に変なほころびが出始めているのではないかと、私はちょっと気になっていますね。

小泉悠氏 ©文藝春秋

 高橋 軍事合理性と政治的なニーズの衝突は、戦争ではよく起こることです。昨年6月のセベロドネツク攻防戦でも、ルハンスク州の最後の拠点を維持したいゼレンスキー、周辺の精鋭部隊が包囲される前に撤退させたい軍部との間で、ある程度の衝突があったことが想像できます。あの時は最終的に、軍事合理性に従った判断が下され、部隊に対して撤退命令が出されました。

 バフムトについてはゼレンスキーの判断が優先されたわけですが、果たして、そこまでして守るべき街でしょうか?

 小泉 そうですねぇ……。バフムトは鉄道や幹線道路の結節点であるため“要衝”と呼ばれることが多いのですが、実際はそれほど戦略的価値を持ちません。最近は、米シンクタンク海軍分析センター(CNA)のロシア研究部長、マイケル・コフマンが現地を視察していますが、彼も「撤退したほうがいい」と結論づけています。

 高橋 結局、バフムトがウクライナにとって重要なのは、ロシアがこの街を重要視しているからということに尽きます。そして守りやすいのでロシアに出血を強いている。

高橋杉雄氏 ©文藝春秋

 小泉 ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は、バフムト攻防戦の目的について「自軍の戦力を再編する時間を稼ぎ、ロシア軍に損害を強要する」ことだと語っていますけどね。したがって、今の状況はそんなに悪くなく、むしろ「1000%成功」なのだと。いかにも旧ソ連の人間らしいオーバーな表現ですが、確かにポドリャクの言う目的は、ある程度は達成されています。

 高橋 バフムトにおいて、ロシア軍の損害率はウクライナ軍の5倍に達していますからね。これだけ消耗が激しいと、普通は攻めるのをやめるものですが、それでもなぜか突き進んでくる。

 地図を見ながら説明すると、現在、ロシア軍は街の中心を流れるバフムトカ川の東側を押さえ、ウクライナ軍は西側を守っている状態です。この中心部の川がウクライナ軍の防衛線として機能し、渡河してくるロシア軍をモグラ叩きのように倒していくことが出来ている。相手の戦力を上手く削れているので、ウクライナ軍も「ここで引くのは惜しい」と、粘っているのかもしれませんね。