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《「民主主義を蔑ろにする不愉快な本だ」と友人に言われても…》藤原正彦が林真理子に語った“人生を決めた本”

「風と共に去りぬ」「クオレ」「永訣の朝」……

note

 藤原 父は武士の家の生まれで、私は小さな頃から武士道とは何たるかを口を酸っぱくして教えられてきました。「弱い者いじめは人間として最も恥ずかしいことだ。見て見ぬふりをして通り過ぎるのはお前が卑怯者ということだ。力を使っても構わないから必ず助けろ」。

 同じ時期に読んでいた「立川文庫」は、今も私の中に息づいていると思います。父の実家には長い廊下がありその上部が本棚になっていました。ずらりと並んだ立川文庫の『猿飛佐助』『霧隠才蔵』などを読むうちにだんだん講談本にハマって、中1の頃には『講談全集』(大日本雄弁会講談社)などを次々に買って読みました。義理人情あふれる話の中に涙と笑い、惻隠の情や正義感、勇気、誠実さ、親孝行……人生において大事なことすべてが詰まっている。小6から中1くらいにかけて講談本に育てられたようなものです。父も小学生の頃の愛読書だったと言っていましたから、父子ともに立川文庫から学んだと思います。

 林 今の子たちは、本を読むより勉強だなんて言われ、そういった情緒を身につける機会は減るばかりじゃないですか。本を読むことがムダだと勘違いされている。

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 藤原 お茶の水女子大学で教えていた時に、地下鉄を降りて講談社の前を歩いていました。すると『21世紀版少年少女世界文学館』の垂れ幕がかかっていて、「早く読まないと大人になっちゃう」と書かれていました。心から感激しました。

 林 すごくいい言葉ですね。

 藤原 だいたい、子供の頃に文学や自然に親しんで情緒を育てていないと、社会に出ても学問をやってもうまくいくはずはありません。数学でも物理でもおそらくどんな分野においても、創造的な仕事をするうえで美的感受性は最も大切なものです。それがないと大成しません。さらに母語をしっかりマスターして初めて「思考と道徳の基盤」ができる。小学校で英語だのプログラミングだの教えるのはまったくの的外れです。

 林 国語をちゃんとやる前に英語をやるなんてどうなのかしらって私も本当にそう思うんです。英語ができない者のひがみだろうと言われるので、あまり大きな声では言えませんけれど。

ブロンテ姉妹との出会いは大きかった

 藤原 そういえば、高校生の頃に出会った宮沢賢治の「永訣の朝」という詩も忘れられません。

 林 結核を患う24歳のとし子が亡くなる間際、兄賢治に「あめゆじゅとてちてけんじゃ(雪を取ってきてください)」とお願いするんですよね。

 藤原 あの詩が感動的なのは、とし子は自分のために雪を取って来てくれと頼んでいるわけではないということです。引用すると、「ああとし子 死ぬといふいまごろになって わたくしをいっしゃうあかるくするために こんなさっぱりした雪のひとわんを おまへはわたくしにたのんだのだ ありがたうわたくしのけなげないもうとよ わたくしもまっすぐにすすんでいくから」。このくだりに今でも鼓舞されています。私は、賢治がとし子に誓ったように、「まっすぐに進んで行こう、なにがなんでもまっすぐに進んで行こう」と、とし子に誓ったのです。

『国家の品格』に「論理よりも情緒」「英語よりも国語」「民主主義より武士道精神」と常識と違うことを書いたので、あちこちから猛烈な批判が来ました。ある程度予想していたのですが、英訳を読んだインドの友人からは「民主主義を蔑ろにする不愉快な本だ」と絶交されました。ひどい誹謗中傷もありました。でも、とし子との誓いを思い出し、「信じる道を貫くのみ」とたじろぎませんでした。

 林 お父様の教えと、幼き日に出会った本は先生の胸にずっと刺さっているのですね。

藤原正彦氏と林真理子氏による対談「運命の一冊に出会うために」全文は、「文藝春秋」2023年5月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

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「運命の一冊に出会うために」
《「民主主義を蔑ろにする不愉快な本だ」と友人に言われても…》藤原正彦が林真理子に語った“人生を決めた本”

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