「死んだ父がいる」

 ライターの伊藤聡さんは、コロナ禍によるテレワークが続く中、久しぶりに乗った電車の窓に生前の父の姿を発見した。しかしそれは心霊現象などではなく、加齢と不摂生により変わってしまった自らの姿だったという。

 ここでは、その出来事をきっかけにアラフィフの伊藤さんが「美容沼」にハマった体験を綴る『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)より一部を抜粋。果たして、初めて訪れたスキンケア製品売り場で、お目当ての商品は買えるのか——。(全2回の1回目/2回目を読む)

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肌について話し合ったことがない

 容姿を変える方法として、これまでに多少なりとも経験があり、最初に思いついたのはスキンケアだった。サプリメントも考えられるが、時間がかかりそうな気がした。ドラッグストアなら、スキンケア製品がたくさんあるだろう。これから肌の手入れをがんばり、そこに定期的なジム通いをつけくわえれば……。きっといける。半年後の新しい私が見えた気がした。

 私が普段おこなっている肌のケアは、非常に簡素なものだった。私は一日に一度、ひげ剃り後に無印良品で買った化粧水をつけていたが、それはスキンケアというよりは、カミソリ負けした肌のひりつきを抑えるための処置だった。

 女性にはなかなか伝わりにくいが、毎日ひげを剃るというのは肌にとってかなりの負担なのだ。ひげを剃った後の肌は、赤らんでひりひりと痛い。いわば毎日、顔にかんなをかけ続けているようなものだ。他の男性は、あの痛みをどうしているのだろうか。平気だという人もいるが、私には苦痛でしかたなかった。

©AFLO

 これまで私は、男性同士でお互いの肌の状態について話し合ったことがなかった。これも考えてみれば奇妙な話だ。ひげ剃りはこれほど日常的な行為なのに、肌のメンテナンスについて男性同士で語り合うのはどこか不適切で、話題としてふさわしくないように思えてくるのだ。そのため「吉野家と松屋のどちらが好きか」については熱く語れても、肌をすこやかに保つ方法について語った経験はまったくなかった。

 ひげ剃り後に使用する、男性用アフターシェーブローションと呼ばれる製品もあり、使っていた時期もあったが、つけるとスースーするものが多く、肌を落ち着かせるという目的からすればいまひとつだった。むしろ肌を刺激してしまうような感覚がある。しかし実際には、洗顔料、シャンプー、ボディソープなど、男性が使う製品の多くにはスースー成分が含まれている。目的はわからない。男性はことあるごとにスースーさせられているのだが、何か理由があるのだろうか。

 アフターシェーブローションと比較しても、スースーがないぶん、化粧水の方がひりつきを緩和できる感覚があった。しばらくして、乳液の方がより痛みを抑えてくれると気づいてからは、乳液だけをつけたりもしていた。私にとって、化粧水や乳液はどちらかといえば痛み止めに近いものだった。