「死んだ父がいる」
ライターの伊藤聡さんは、コロナ禍によるテレワークが続く中、久しぶりに乗った電車の窓に生前の父の姿を発見した。しかしそれは心霊現象などではなく、加齢と不摂生により変わってしまった自らの姿だったという。
ここでは、その出来事をきっかけにアラフィフの伊藤さんが「美容沼」にハマった体験を綴る『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)より一部を抜粋。初めてしっかりとしたスキンケアをして眠った翌朝、肌に起きた驚くべき変化とは——。(全2回の2回目/1回目を読む)
◆◆◆
今の自分の姿となりたい自分の姿
そもそも私はどう変化したいのか。容姿を改善するためのプランを練ってはいたものの、なりたい自分のイメージが固まっていない。私がぼんやりと考えていたのは「全体的にしゅっとしたい」「いきいきとした見た目になりたい」などの抽象的な雰囲気ばかりで、これでは対策の立てようがない。顔のどの部分に満足しておらず、どう変えたいのか。スキンケア製品を探すのもいいが、まずは現状の認識からだ。
そもそも私は、自分の顔をしっかりと観察していなかった。よく考えてみれば「自分の顔を、隅から隅まで集中して見る」という行為を、まともにしたことがない。家に姿見はあるものの、遠くからざっと見ているだけだ。私は手鏡を自分の顔に近づけ、いま現在の顔がどうなっているのかを至近距離から確認してみた。
反射的に「ひいっ」と声が出た。
鏡を顔面ぎりぎりまで近づけたときに見えたのは、私が何となくイメージしていた自分自身の顔とは似ても似つかない、くたびれ果てた中年男性であった。私の顔、こんなことになっていたのか。こんなに身近なものをきちんと見ずに生きていたとは……。現実って厳しい、と私は思った。こんな顔で外出し、いろいろな人と会っていたのかと思うと冷や汗が出る。なぜいままで、この異変に気づかなかったのだろう。
思わず出てしまった小さな悲鳴。自分の顔すらまともに見ることなく、現実から目を逸らし続けた結果である。きっと、借金をしすぎて自分の借りている額を把握できていなかった人物が、ある日勇気を出して自分の借入額を計算し、総額を知った瞬間に出る声は、こんな感じではないかと思った。
自分の真の姿を知ってしまった私は、衝撃でしばらく身動きが取れずにいた。「私、こんなでしたっけか?」と、誰もいない部屋でひとりごとを言ってしまう。自分がイメージしていた顔と、実際の顔とは、これほどまでに違うものなのか。やはり人は自分が見たいものだけを都合のいいように見てしまうものだと、あらためて痛感した。