私が考える、最も広義のBLの定義は「女性が女性に向けて描いた男性同士の恋愛やセックスの物語」です。男性同士の恋愛やセックスを描いた作品は古代ギリシアの時代からありますし、日本でも井原西鶴の浮世草子『男色大鑑』などがあるように、大昔から絵や文章など無数の作品が存在します。
こうした作品とBL作品の決定的な違いは、BLが「女性が、女性に向けて描いた、女性のための文化である」という点なのです。
実際、竹宮先生が70年代初頭に初めて短編の少年愛作品を「別冊少女コミック」に掲載しようとした時、男性中心の当時の雑誌編集部では当然のように反対の声があがったといいます。結局竹宮先生は半ば強行突破で作品を掲載し、それを読んだ少女たちから「こういうのを待ってました」という、熱烈な手紙が殺到しました。以降、少女漫画雑誌にはBL的な作品が掲載されるようになりますが、こうした反響がくるまで男性の編集者たちは、少女たちが男性同士の恋愛物語にこれほど熱狂するとは、まったく想像できなかったのです。
ではなぜ女性たちがBLにハマっていくのか。一口にBLといってもオリジナルから二次創作まで幅が広く、なおかつ「性表現」という非常にプライベートな領域を含むこのジャンルにおいて、動機の分析をすることには慎重さが必要です。例えばスポーツ観戦をするファンも動機は人それぞれであるのと似て、BLとの出会いや、惹かれるポイントは人それぞれだからです。
私の場合は、異性愛を描いた物語への違和感と、現実社会の抑圧的な異性愛規範、ジェンダー規範への疑問が、BLに惹かれた所以に大きく関わっています。
「だがそれがいい!!」
富山県で生まれ育った私が最初に触れたBL作品は、少年愛の金字塔とも言われる竹宮先生の『風と木の詩』でした。同作の連載がちょうど終了した84年、私が小学五年生のころのことです。当時、地元の公民館の本棚に『風と木の詩』が置いてあり、女子がさかんに回し読みしていました。私の順番が回ってきた時、緻密なストーリーは理解できないながらも、「これだー!!」と、美しい性描写に大きな喜びと興奮を覚えました。しかし、その時私はまだ同性愛の存在や概念を知らなかったので、主人公の美少年ジルベールのことは少女だと思っていました。
相前後して、魔夜峰央先生の『パタリロ!』というギャグ漫画を読みました。この作品は二十四年組の生んだ少年愛というテーマの影響を強く受けています。それを読んで、私は初めてジルベールが少年だということに気がつきました。男性同士の性愛だったことに事後的に気が付いたわけですが「だがそれがいい!!」と、強く思ったのです。
当時の私は男性向けに作られた所謂エロ本を興味本位で見たこともありましたが、その描写は「汚らしい」と感じていました。
加えて、男女の恋愛を描く少女漫画も、あまり好きではありませんでした。今考えれば、少女漫画には当時でも膨大な数の作品がありますから、私の好みに合う作品は存在したと思います。しかし、小学生の私が出会った少女漫画のうち、恋愛が主題の作品では、ヒロインの個性や行動に違和感があって、好きになれなかったのです。
私は強くて勇敢な「アマゾネス」のような女性キャラや、室山まゆみ先生の『あさりちゃん』のようなひょうきんな女子キャラが好きでした。けれど恋愛漫画のヒロインは、健気で可愛らしい子が多く、共感できませんでした。私自身が現実の恋愛にはあまり興味がなかったのもあり、異性間の恋愛の描写に憧れることもありませんでした。
でもBLは違う。BL作品で描かれるのは男同士の世界で、自分とはまったく別の世界。だからこそ現実の自分と比較したり、違和感を覚えたりせずに没入することができるのです。
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社会学研究者の金田淳子氏による「BLにハマる女たち」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年5月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
BLにハマる女たち
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