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家広 敗戦後、「そもそも鎖国が悪かった」という考え方が広がりました。「ずっと鎖国していたのに欧米列強に無理に追いつこうとした結果がこのたびの戦争だったのだ」と人々が考える中で、徳川家=悪者というイメージが広がっていったんじゃないでしょうか。

 私の父親は日本郵船という国際的な会社で働いていましたが、就職したときに「ご先祖様がしたことの罪滅ぼしのためですか?」と言ってきた人がいたそうです。時間をさかのぼって首を絞めてやりたいところですが(笑)、「徳川家が悪い」という風潮が強い時代があったのは事実です。

ほかの戦国大名の子孫とよく会う

――家広さんご自身は、徳川の子孫であるゆえにイヤな思いをしたことはありますか?

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家広 特にないと思います。というより、この人生しか経験していないので、なんとも言えないんですよね。強いて挙げるならば、「埋蔵金があるんでしょ?」と疑われることくらいでしょうか(笑)。徳川幕府は財政が崩れたからこそ明治維新に至ったのだろうし、私自身は埋蔵金は実在しないんじゃないかと考えています。そんな大金が本当にあるなら、取り分は1割でいいので代わりに掘り出してほしいですよ(笑)。

――学校の歴史の授業でからかわれたりしませんでしたか?

家広 もしかすると先生は気を使ったかもしれませんが、クラスメイトは「知ってるよ」くらいの反応でした。私が高校まで通っていた学習院というのはいろいろなご子息がいる環境で、1学年下には秋篠宮様もいらっしゃいましたから、生徒側もわざわざ騒ぐようなことはなく慣れたものでした。

――ほかの戦国大名の子孫とお会いする機会はあるんでしょうか?

家広 年がら年中ありますよ。たとえば今日この後も、文京区にゆかりのある殿様の子孫の集まりに出席することになっています。

――すごい! 何の話をするんですか?

家広 各家と文京区との繋がりのお話だと聞いております。

――ちょっとのぞいてみたいような……。

ほかの戦国武将の子孫と軽口を叩きあうことも ©文藝春秋

家広 文京区のイベントですから、客席に入れるかもしれませんね。

――もしも家広さんが京都の二条城(徳川家康が京の宿館として建てた城)に行ったら、一般の見学者だと入れない場所に特別に入れてもらえたりするものなんでしょうか?