家広 それは試したことがないからわかりませんね。でも京都の人は秀吉びいきなので、私は意地悪されちゃうかも(笑)。
――そのぶん浜松に行ったときは大人気なのでは?
家広 いえいえ、そうでもありませんよ。でも私の顔がだんだん知られてきたので、むやみに訪ねるのは控えたほうがいいのかもしれない……というのは冗談です(笑)。
徳川の子孫に生まれ、人と違う視点が持てた
――徳川家康の子孫に生まれて良かったことはありますか?
家広 何かあるとしたら、ほかの人と違う視点が持てたことかもしれません。私が子どもの頃はまだ「徳川家康は悪人」のような風潮が強くありましたが、「自分のご先祖だからこそ擁護したいけれど、むやみにかばったところで説得力がない」という思いで勉強するうちに、ひとつの出来事を多様な角度から考えられるようになったように感じます。
――小説やドラマの中で悪役として描かれることが多かった徳川家康ですが、NHK大河ドラマ『どうする家康』が放送され、現在は家康ブームと言われています。人々のイメージもどんどん変わっていきそうですね。
家広 日本橋には、国内の全ての道路の起点となる「日本国道路元標」が置かれており、日本の中心と言える場所です。これは実は家康が日本橋を「五街道の起点」と定めたところにルーツがあり、彼の構想が現代に至るまで続いているんです。あくまでこれは一例で、徳川家康はほかにも語るべきことのたくさんある人物だと思います。
――家広さんはもともと政治経済評論家ですが、歴史についてもお詳しいですね。
家広 徳川の子孫ということで執筆依頼が来るようになって、慌てて調べて覚えただけです(笑)。徳川記念財団には資料がたくさんありますからね。父が財団を作り、私が理事長を継いだからには、徳川宗家としての発信も頑張っていかなければと思います。
――本日はありがとうございました。お話を伺って、「徳川宗家の現当主」という世界にたったひとりの立場でありながら、すごく謙虚というか、「自分は自分」というフラットな姿勢を貫いているのが印象的でした。
家広 世界にたったひとりの存在というのは皆さんも同じですよ。……本音を言えば、私は目立つことがあまり好きじゃないので、早く家康ブームが落ち着いて、文筆業に戻れればいいなと思います(笑)。
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