だからぼくは、シュトックハウゼンが9・11の直後に「あれはアートの最大の作品だ」と言ったことの意味はわかるんです。彼はあの発言で世界中から非難されましたが、でもあのテロはたしかに、すべての人を謎に引き込む、解釈を超えたイベントでありパフォーマンスではあった。解釈不能な状態に人を一瞬陥れて、何か恐怖とか畏れのようなものを与える、それは芸術が目指してきたものです。
アンディ・ウォーホルにしても、ヨーゼフ・ボイスにしても、ジョン・ケージにしても。そういう意味では、あの事件の圧倒的な衝撃を目の前にして、アートは形無しだった、と言っていい。
恐怖との戦い
とにかく怖くて、ぼくは一刻も早くニューヨークから逃げ出したいと思った。でも実際のところ、事件のあと1週間、トンネルも橋も封鎖されていて逃げ出せなかった。マンハッタンは島ですから。
封鎖が解かれたあとも、どこに逃げたらいいのか必死で考えていました。アラスカには基地があるし、ハワイにもたくさんあるし、日本は基地だらけだし。どこも安全とはいえない。
またすぐに次のテロ攻撃があるに違いない、とぼくは思っていました。スーツケース型核爆弾というのが世界で50個ぐらい紛失しているという話を聞いていたので、次の攻撃は核だなと思って毎日ビクビクしていた。そもそも核で攻撃されたりしたら、逃げてももう遅いんですが、とにかく少しでも安心できるように、道なき道を突っ走って逃げられるようにと思って、レンジローバーをとつぜん買いました。戦車を買うわけにはいかないので、レンジローバー。気休めですね。1カ月分ぐらいの水や食糧を車に積んでおいて、家にも備蓄した。
それから、ガスマスクも買いました。売り切れのところが多くてなかなか見つからなかったんですが、なんとかインターネットで見つけて、10個ほど買い、知り合いの家族に配ったり、別れた奥さんにあげたりもしました。とにかく、できる限りの準備はしようと思いました。