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 仕方がないので、「要介護4」の父を自家用車に乗せ、銀行まで出かけた。車イスのまま乗せられる車ではないので、自動車への乗り降りだけで大わらわだ。

 ようやく銀行にたどり着くと、「貸金庫の窓口は2階にあります」と言う。「じゃあエレベーターで上がります」と言うと「ウチの銀行にエレベーターはありません」と言うではないか。

「じゃあ、悪いんですけど貸金庫の担当の人が1階に下りてきてくださいよ」

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「すみませんが、それはできません」

「えっ、どういう意味ですか」

「契約者であるお父さん本人が2階に来ていただかないことには、手続きはできません」

 こんなものは嫌がらせにほかならないし、もっと言うと障碍者差別だとすら思う。目の前に車イスに乗った高齢の身体障碍者がいるというのに、「臨機応変」の「り」の字も見当たらない。いくら事情を説明しても言うことを聞いてもらえず、「とにかく2階に来てください」の一点張りだ。

 仕方がないので、銀行員に手伝ってもらいながら私が父をおんぶして、妻が横から支えながら銀行の2階に連れていった。こうしてようやく私もカギをもらい、貸金庫を開けられるようになったのだ。

 実はこれが、父の生前に私がやっておいた唯一の相続対策だった。この秘策によって起死回生を図るはずだったのだが、状況は暗転する。

 

父が亡くなって初めて目の当たりにした「軍人国債」

 今でも悔やまれる。なぜあのとき、父と一緒に貸金庫の中身を確認しておかなかったのだろう。人生最大のミスに近い、あまりにも致命的なミスだった。

 貸金庫というからには、キャッシュカードや通帳、印鑑や貴金属、保険証券や証書が入っていると誰もが想像する。ところが父の死後、高田馬場の銀行へ出かけて貸金庫を開けてみると、そこには金目のものはほとんど入っていなかったのだ。

 貸金庫の中には、大学の卒業証書や思い出のパンフレットなど、金銭的価値がまったくないシロモノがぎっしり詰まっていた。唯一金目のものといえば、軍人国債が出てきたのは意外だった。私は現行の金融商品はだいたい知っているものの、軍人国債の現物はあのとき初めて見た。

 特攻隊員だった父は、一度国のために命を捨てた身だ。だから自分が軍人だったことに強い誇りをもっていた。軍人国債には切符のような紙がついていて、それを切り取るとお金と交換してくれる。誇り高き軍人である父は、もったいないことにそれを切り取らずにずっと大事にもっていた。

 軍人国債には有効期限がある。有効期限が切れたものもあったのだが、何十万円分か、まだ権利が残っているものがあった。