たった残高700円の口座のために……
たった一つの銀行口座を開示してもらうまでに、どれほど気の遠くなるような作業を繰り返したことか。今思い返してもゾッとする。
膨大な労力をつぎこんだ結果、父の口座が次々に明らかになっていった。父の言っていたとおり、全部で数千万円の預金が出てきた。ただ、それは合計金額で、なかには残高のほとんどない口座もあった。一番残高の少なかった銀行は、700円しかなかった。
「森永さん、この預金、どうしますか」
銀行員から訊かれた瞬間、パッと立ち上がって即答した。
「放棄します」
ふざけるのもいい加減にしてほしい。この銀行口座を開示してもらうまでに、私がどれだけ自分のお金と時間を投入したのか。たった700円しか残っていないのだったら、最初からコソッと「100円単位しか残っていないですよ」と耳打ちしてくれても良さそうなものだ。
結局、判明した父の銀行口座は9つあった。
ただ、私が探し当てることができなかった口座は、ほかにもあるのかもしれない。しかし、弟が遺品整理業者に依頼し、父の遺品は今では全部処分してしまったので、これ以上新しい口座が発見される可能性はゼロだ。
もし休眠口座から払い戻されなければおカネはどこに?
10年以上取引が行われていない口座を、銀行は休眠口座へと移行する。その総額は1200億円にのぼると言われる。口座の持ち主や遺族からの請求があれば払い戻すことが可能だが、現実に払い戻されるのは1200億円のうち500億円程度しかない。残りの700億円は、政府に納付されることになっている。見つけられなければ、事実上、相続税で100%もっていかれるのと同じことになるのだ。
今は金融庁や警察庁の締めつけが強くなったため、金融機関は新しい口座を簡単に開設してくれなくなった。振り込め詐欺が頻発するようになり、使っていない銀行口座が闇社会で売買されてしまうからだ。
昔は口座を作るのがすごく簡単だった。銀行員がノルマ達成のために「口座を作ってくださいよ」とやってきて、言われるがままに口座を開設してあげると、貯金箱などの景品をプレゼントしてくれた。父の実家にも銀行の貯金箱がたくさんあったので、おそらくつきあいで口座を開いてあげたのだろう。
父が元気だったころとは違って、今ではジャパンネット銀行や楽天銀行、ソニー銀行などネット銀行も活況を呈している。ネット銀行は口座を開設したあと、やたらと郵便物なんて送ってこない。取引の記録はネット上のログイン画面で完結する。
大和証券や丸三証券などの証券会社も、ネット上の手続きで口座を開設できる。紙の文化が残っていれば遺族の手がかりになるものの、ネットバンキングとなると遺族にとっては雲をつかむような話だ。今父が亡くなり、手がかりが何もない中であのときと同じ作業をしなければならないとすれば、実に空恐ろしい。